2020/12/15
はじめに

前回のブログの「おわりに」で、

金八先生や貫八先生のような真のつながりの学級集団の具体例を、もへちゃんは知っている
と書きました。
毎年11月末~12月初旬に実施されている全国 人権・同和教育 研究大会の「学級集団作り」の分科会で出会い続けてきたのです。
そこで今回は、全「同」教大会に参加した後、職場の方々に、学んできた内容をフィードバックするために書いた「2015おみやげ通信 No.4」(2015年12月1日発行)を紹介します。
第67回 全「同」教大会
人・人・人
11月20日から23日にかけて、第67回全国人権・「同和」教育研究大会で長野に行ってきました。
11月21日に開会式があったホワイトリングという施設は、1998年長野冬季オリンピックでフィギュアスケート及びショートトラックスピードスケート競技の会場となった施設と聞きました。
さらに先週末、剣道部が行った全国大会もこのホワイトリングです。
大きい会場でしたが、開会式は人、人、人…。
約8千人が参加したとのことです。

「教育」と名が付く研究大会では、この全国人権・「同和」教育研究大会は日本最大だそうです。
人権教育や部落問題にとりくんでいる人たちがこんなにもいるんだと思うと、とても力が湧いてきました。
全体会 特別報告「わたしにとっての部落とは」
全大会での特別報告は、長野県◯◯◯養護学校の◯◯先生の「私にとっての部落とは〜求めてきたもの、そして今〜」を聞きました。
参加者8000人の前で語るこの特別報告は、毎年の全「同」教大会で魂の言葉が聞ける報告の一つです。
紙面では制約がありますが、簡単に報告します。
長野では1950年に「給食差別事件」
被差別部落の親が作ったみそ汁を、子どもたちが「きたない」と言って、こぼしたり、窓から捨てたりした上に、こぼしたものをムラの子どもたちに拭かせたりした
…が起こりました。
1950年代から70年代には、ムラの若者の命が、次々に差別によって奪われました。
1974年から、被差別部落の小中学生を対象にした部落解放子ども会が、長野の各地に発足したのは、「なにがあっても決して命を奪われてはならない」という親の願いからでした。
発表者の◯◯さんは小学校1年生の時に、解放子ども会が組織され、通うようになったそうです。
中学3年で子ども会を卒業すると、まるで被差別部落から卒業したように、なかなか子ども会にかかわれない先輩たちを見ていたので、◯◯さんは高校生になっても、そして大学進学のため東京に出てからも、帰省するたびに、電気がついていれば集会所に行っていたのだそうです。
その後、中学校の社会の教師になり、希望して職員会で、被差別部落出身であることを語ることにし、どんな話をしようかと考えてる時に初めて全「同」教大会に参加しました。
想像をはるかに超える大勢の参加者、熱い討議に圧倒され

「同和」教育を真剣に考える人がこんなにも大勢いるんだ
と思いました。
参加した分科会でも心揺さぶられ、そこで出された問い「あなたにとって部落とはなんですか」を考えるようになりました。
◯◯さんにとっての部落とは父と母だったそうです。
結婚差別にあい、反対され、母方の祖父母に初めて会ったのが5歳。
小学生になって月に1、2回、日が暮れた後の近所の方が通りに出てこないような時間帯に、車からおりると物音を立てないように入る母方の実家。
祖父の告別式の後のお斎に出ることなく帰らなければならなかった宮川さんと父。
職員会では父と母の人生を語ったそうです。
「法」切れで、長野では同和教育推進教員の制度が廃止され、解放子ども会がなくなり、集会所の子ども会の部屋が、開かずの間になったことを知った宮川さんは、何人かの後輩に声をかけ集まることにしたそうです。
今も結婚差別と闘ってる若者の話を後輩たちに話すと、後輩達は「聞いてください」といろんなできごとを話し始めたそうです。
そんな卒業生の会を集会所で何度か開くうちに、子どもの頃に行った解放学習「自分たちはなんのために、解放子ども会にきているのか」をまとめたのファイルが出てきました。
それには

大人になって、差別されても、みんなに負けないためだと思う。
もし、何も知らないで差別をされればいやだと思う。
そのあとから、そのことを聞かされれば、親を一生うらむかもしれない。
何も知らないのだから…。
大人になって、もし差別されても、それに負けない強い人間になりたい。
と書いてありました。
- 卒業生たちと会ったとたんに部落の話ができる
- 安心して話ができる場所
- 部落のことを、自分自身のことを真剣に考えられる場所
が解放子ども会だったんだ。

そういうつながりだから、私は解放子ども会が好きだったんだ。
と気づいたそうです。
最後に◯◯さんは、このようにまとめられました。

被差別部落の親たちや地域の指導者が、一生懸命続けている解放子ども会があります。
- 決して命を奪われてはならない
- 絶対に差別に負けてはならない
ここから始まった「同和」教育です。
1人でも多くの教師が「あなたにとって部落とはなんですか?」の問いを、子どもたちに問える位置に立ってほしいと思います。

おわりに

おみやげ通信
なぜ「おみやげ通信」というネーミングかというと、その通信におみやげをホッチキス止めして、職場の方に配るからです。
「食べてから読んでね」と一文添えているのは、言うまでもありません(^^)
今までこのブログで紹介してきた「おみやげ通信」は
- 被爆者との交流・語る会…2008年原水禁世界大会長崎大会にて
- 被爆者の方に質問…2008年原水禁世界大会長崎大会
- 長崎フィールドワーク(原子爆弾落下中心地→平和公園の壁→山里小学校→白山墓地→如己堂)
- 2017広島 原爆の日に学んだこと…高校生平和大使、首相挨拶
- 昨年(2019)の長崎 平和宣言は殊更、心に響きました
- ナガサキフィールドワークと「母と暮らせば」…爆心地、長崎原爆朝鮮人犠牲者慰霊碑、医大門柱、浦上天主堂
と、反戦平和についての内容ばかりでした。
しかし、人権教育についての出張で学んだことも「おみやげ通信」にしてきてました。
ちなみに2015年のおみやげ通信は
- No.1…第18代 高校生平和大使に選ばれた卒業生の研修会での様子を見に行った広島で学んだこと
- No.2…互助会「平和の旅」に参加した長崎で学んだこと
- No.3…組合の県教育研究集会の「平和教育」分科会に参加し学んだこと
そして
- No.4…長野県で行われた全国 人権・「同和」教育研究大会で学んだこと
でした。
ちなみに、今回のブログの記事は「2015おみやげ通信 No.4」の第1面の内容で、全体会の様子を紹介した記事でした。
学級集団作り等の分科会についての報告は、2面以降にあったのですが、ブログの文章としては長くなっちゃったので、今回はここまででやめました。
次回、「2015おみやげ通信 No.4」の2面以降を紹介したいと思います。
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