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結婚差別に関する学習後の通信

2022/10/31

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

狭山事件

 1963年3月に起こった吉展よしのぶちゃん事件で、警察は身代金を取りに来た犯人を取り逃がし、警察に対する批判が強まりました。

 そんな中、1963年5月、埼玉県狭山市で、高校1年生の少女が被害者となった強盗強姦殺人事件が起こりました。

 しかしここでも警察は、身代金受け渡しの現場に現れた犯人を取り逃がしてしまいました。

 このことは、国会でも取り上げられ、マスコミや世論の圧力からの非難が警察に集中しました。

 そんな中、5月6日には任意で取り調べた「関係者」に自殺されるという、取り返しのつかない失態まで犯してしまいました。

 しかし当時の国家公安委員長は、緊急記者会見で「死んだ犯人には用はない。必ず生きた犯人を捕まてみせる」と宣言してしまいました。

 焦った警察は、狭山市内の3つの被差別部落に目をつけ、部落の青年をかたっぱしから調べ始めました。

 地域社会の差別的な「思い込み」や「偏見」の上の「見込み捜査」をしてしまったのです。

 そして部落の一青年の石川一雄さんを逮捕しました。

 これが狭山事件です。

 もへちゃんは2002年、石川さんを取り調べた調書どおりに狭山事件の現地を歩いてみました。

  • 時間が全く合わない
  • 殺人現場とされた場所のごく近くで農作業していた人がいたけど、わずかな距離だったので気づかないわけがない
  • 遺体をイモ穴に吊すなんて、石川さん独力でできるわけがない

と矛盾だらけでした。

 だからもへちゃんは

もへちゃん
もへちゃん

 石川さんは無実だ!

と信じています。

 今日(10月31日)は、狭山事件にとって節目の日です。

 そこで、結婚差別のことを学習した後に発行した「◯◯◯◯中学校 3学年だよりミニ No.32」を紹介します。

「知って」「感じて」「行動する」

 一昨日おとといと今日、「結婚差別」について学習した。

結婚差別の授業で使ったイラスト (イラストACから)

 「今さら差別なんか、もうないよ」と言う大人もいる。

 「私は差別なんかしないよ」と言う大人もいる。

 そうだったら本当にうれしい。

もへちゃん
もへちゃん

 でもそうだろうか?

「部落差別」を初めて知った15歳のもへちゃん

 約40年前、当時中学生だった僕が、初めて部落差別について学校の人権学習で勉強したとき

「なんて大人はバカなんだ」

と思った。

 「何百年も前の人がどう生きていようと、それで何で差別すると?今の俺と関係あるか!」

と腹が立った。

「寝た子を起こすな」論に納得してしまった15歳のもへちゃん

 家に帰って親に話すと

「学校でそんなことを教えるから、また差別が続く」

と言われた。(これを「寝た子を起こすな」論という)

 15歳の僕は、今度は「なるほど」と思ってしまった。

「『寝た子を起こすな』論のあやまり」を知って、感じて、行動

 その後、学校の先生になるために大学の教育学部に進学し、差別について学んだ。

 明治になり、1871年に解放令が出された。

 差別はなくなるはずだった。

 けれど、幼い子どもに対して、家や地域で、大人が差別の汚い考え方をすり込んだ。

 このころの学校では人権学習はなかったから、子どもは正しい考え方を知らなかった。

 だから、この汚い考え方を「正しい」と信じ込んだ。

 それがくり返された。

 

 1965年、国は「これじゃダメだ」と方針を変えた。

 「学校で幼い子どもに正しい考え方を伝えなければ、部落差別をはじめとする様々な差別はこの国からなくならない。ならば学校教育の場でしっかり教えるべきだ」と。

 「『寝た子を起こすな』論は誤りだった」と国自体が反省したのだ。

 先生になってから、僕は自分の親を説得した。

 長い時間がかかった。

 けれど今では、市の人権講座で講師の先生に質問するほど、自ら学ぼうとしてくれている。

ともにガンバロー

 君の親やじいちゃん・ばあちゃんが、正しい考え方だとうれしい。

 けれど、そうじゃないかもしれない。

 その時は、正しい考え方を知っている君が時間をかけて、説得して欲しい。

 ◯◯◯◯中の人権学習のこだわりは「知って」、「感じて」、「行動する」なのだから。

 君らが、この日本をもっと住みやすくしてくれると信じている。

もへちゃん
もへちゃん

 もちろん、僕も一緒に闘う。

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

10.31

 警察での取り調べで「自白」し、地方裁判所での第1審では、死刑判決が出ました。

 しかし石川さんはその判決に動じることはありませんでした。

 「罪を認めたら10年で出してやる」という警察との約束を信じていたからです。

 部落差別の結果、ほとんど学校に行ってなかった石川さんは「警察官」、「裁判官」、「弁護士」などの役割を全く知らず、一警官との「男と男の約束」を信じていたからでした。

 しかし拘置所内で、同様に捕まっていた人から指摘され、「男と男の約束」が嘘であることを知った石川さんは、高等裁判所での第2審で一転、無実を訴え始めました。

 さらに、高等裁判所の寺尾正二裁判長は、就任当初、部落問題関係の本を10数冊読んだと弁護団に語るなど、無実を信じる石川さん本人や家族、支援者、部落大衆は、「正しい判決」を大いに期待したのは言うまでもありません。

 そして1974年10月31日、出た判決は「無期懲役」でした。

 「無実」判決を信じていた石川さん本人や家族、支援者、部落大衆の怒り、悲しみは深く、「10.31」は忘れたくても忘れられない日となったのです。

歴史年表暗記法シリーズ 

 前回までで「歴史年号暗記法」シリーズは①~⑦まで紹介しました。

 今日が10月31日だったので、歴史年号暗記法⑧(最終号)は、次回に延期した次第ですm(_ _)m

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