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合唱曲「消えた八月」…歌詞に込められた思い⑩

2020/09/29

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

 もへちゃんが、学校の先生でいる間、受け持ったクラスの子にぜひ歌ってほしいと思っていた合唱曲が3つあります。

  • 消えた八月
  • 木琴
  • 親知らず子知らず

です。

 「消えた八月」は、ある年の中3生が挑戦しました。

 「木琴」は、平和劇の中の仮想のクラスで歌ってもらいました。

 「親知らず子しらず」は、ついに挑戦しないままです。

 こればっかりは、もへちゃん自身が歌うのではなく、子どもたちが歌うのですから、仕方ないです…(>_<)

 では、歌詞解説シリーズ第10弾、合唱曲「消えた八月」について書いた通信「学級記録 No.36」(1996年9月17日発行)を紹介します。

消えた八月

歌詞①

光に打たれて

僕は壁にとけた

消えた八月 作詞 栄谷温子、作曲 黒沢吉徳より
ハンドルの影 「知ってください!あの日のことを」(子どもたちに世界に!被爆の記録を語る会発行)より引用

 ハンドルの影(広島)

 爆心地から南東2.2km、皆実みなみ町の広島ガス会社のガスタンクに、熱線によってハンドルの影が鮮明に残った。10月、撮影:米軍

歌詞②

僕は影になった

消えた八月 作詞 栄谷温子、作曲 黒沢吉徳より
石段の人影 「知ってください!あの日のことを」(子どもたちに世界に!被爆の記録を語る会発行)より引用

 石段の人影(広島)

 紙屋町 住友銀行入り口(爆心地から東250m)の石段に残った人影。

 1人の人が右足を伸ばし、左足は立てひざをして腰掛けていたと思われる。11月20日 撮影:米軍

歌詞全文および合唱動画は「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」へ

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

 もう少し、歌詞の解説の補足をしますね。

歌詞③

熱い光の中で

僕は一枚の絵になった

消えた八月 作詞 栄谷温子、作曲 黒沢吉徳より
板塀に熱線で投影された梯子と人影 長崎原爆資料館展示

歌詞④

熱い風の中で

君はひとつの

石像になった

消えた八月 作詞 栄谷温子、作曲 黒沢吉徳より
少年 「知ってください!あの日のことを」(子どもたちに世界に!被爆の記録を語る会発行)より引用

 焼死、少年。(長崎)

 爆心地から南南東700m付近。

 岩田町 8月10日 撮影:山端庸介

ヒロシマの一寸法師

 写真の持つ発信力はすごいのですが、言葉の力も、もへちゃんは信じています。

 そのことを感じた戯曲「父と暮らせば」(井上ひさし著)の一場面を紹介します。

 原爆の被害は

  • 熱線
  • 爆風
  • 放射線

と言われます。

 戯曲「父と暮らせば」の中で、娘 美津江の夏休みお話会のために、父 竹造が

 よう知られとる話の中に、原爆資料をくるみ込んでみい

とアドバイスします。

どげえに?

  父 竹造はひらめいた「ヒロシマの一寸法師」を語り始めます。

 さて、赤鬼のお腹のどんばらん中に飛び込むまではおんなじじゃが、その先は大げけにちがうぞ。

 赤鬼のお腹の中に飛び込んだヒロシマの一寸法師は、

(竹造 ポケットから原爆瓦を出して高く掲げ)

 この原爆瓦を鬼めの下っ腹に押し付けて、
 

「やい、鬼。

 おんどれの耳くそだらけの穴かっぽじってよう聞かんかい。

 わしが持っとるんはヒロシマの原爆瓦じゃ。
 あの日、あの朝、広島の上空580メートルのところで原子爆弾ちゅうもんが爆発しよったのは知っちょろうが。
 爆発から1秒あとの火の玉の温度は摂氏1万2千度じゃ。
 やい、1万2千度ちゅうのがどげえ温度か分かっとんのか。

 あの太陽の中心温度が6千度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空580mのところに、太陽が、ペカーッ、ペカーッ2つ浮いとったわけじゃ。
 頭のすぐ上に太陽が2つ、1秒から2秒のあいだ並んで出よったけえ、地面の上のものは、人間にんげも、虫も、魚も、建物も、石灯籠どーろも、一瞬のうちに溶けてしもうた。
 屋根の瓦も溶けてしもうた。
 しかもそこへ爆風が来よった。
 秒速350m、音より速い爆風。
 溶けとった瓦は、その爆風に吹き付けられていっせいに毛羽立って、そのあとえたけえ、こげえ霜柱のようなトゲがギザギザギザとたちよった。
 瓦はいまや大根だいこの下ろし金、いや、生け花道具の剣山。

 このおっとろしいギザギザで、おんどりゃ肝臓を根こそぎろしたるわい。

 ゴシゴシゴシ、ゴシゴシゴシ」

 

 いとうて痛うて赤鬼は、顔の色を青うしてからにそのへんを転げ回ってのた打った。

 

(怯えている美津江、竹造、左下のポケットから薬瓶くすりびんを出して掲げ)

 

すぐさま、ヒロシマの一寸法師は熱で溶けてぐにゃりと曲がった薬瓶を取り出し、

 

「やい、鬼。

 こんどはこの原爆薬瓶で、おんどりゃ尻の穴に、内側から栓をしてやるわい。

 ふん詰まりでくたばってしまやあええ。」

 

(竹造、上のポケットからガラスの破片を出して掲げ)

 

「・・・やい鬼。

 これは人間の身体に突き刺さっとったガラスの破片ぞ。

 あの爆風が、ヒロシマ中のありとあらゆる窓ガラスを木っ端微塵こっぱみじんに吹き飛ばし、人間の身体を(涙声になっている)針ねずみのようにしくさったんじゃ・・・・・

 このおっとろしいガラスのナイフで、おんどりゃ大腸や小腸や盲腸を、千六本にちょちょ切っちゃるわい」

  

 

 ・・・・・非道いどえりゃーものを落としおったもんよのう。

 人間にんげが、おんなじ人間にんげの上に、おひーさんを2つも並べくさってのう。

父と暮らせば 井上ひさし著 新潮社刊より引用

 もへちゃんは「父と暮らせば」の劇をみたことがあります。

 それまでの場面では、のほほんとして、観客からの笑いをとっていた父 竹造が、「ヒロシマの一寸法師」を、鬼気迫る表情で、一気に、たたみかけるように、語ります。

 強く印象に残っている場面です。

「消えた八月」から「母と子の写真集」へ

 合唱曲「消えた八月」は、メッセージ性の強い歌です。

 なので、学級通信では画像のみを載せました。

 ここに載せなかった画像も、スライドで(当時はパワーポイントなんてありませんでした)子どもたちに見せました。

僕の好きな八月は、蝉とひまわりの夏

君の好きな八月は、銀河の下、星祭り

消えた八月 作詞 栄谷温子、作曲 黒沢吉徳より

 この歌詞の時は、うちの子たちが夏に遊んでいる写真(海水浴、七夕)を見せました。

 それから20年後、朗読+寸劇「母と子の写真集」にとりくんだ際、合唱曲「消えた八月」をバックに様々な写真を見せました。

 「母と子の写真集」の原点が1996年のもへちゃん組の合唱「消えた八月」だったわけです。

 朗読+寸劇「母と子の写真集」に使った画像は

もへちゃん先生の学級通信の資料置き場の反戦平和のとりくみ…寸劇+朗読劇「母と子の写真集」画像例

をご覧下さい。

 また、朗読+寸劇「母と子の写真集」は、Kindleで電子出版しています。

 250円ですが、Amazonプライム会員の方は月1冊無料で読めるそうです。

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