2022/08/01
はじめに
合唱コンクールで歌わせたかった合唱曲3曲
もへちゃんが先生をしていた頃、
いつかは、もへちゃん組の子たちに歌ってもらいたいなぁ
と思っていた合唱曲が3曲ありました。
- 消えた八月
- 木琴
- 親知らず子知らず
です。
「消えた八月」は、1996年度のもへちゃん組の子たちが歌ってくれました。
「木琴」は、2012年度の平和劇「青葉」の中で、劇中のクラスで歌ってもらいました。
「親知らず子知らず」だけが、もへちゃんの先生人生の中で、歌ってもらえませんでした(T_T)
過去に本ブログで書いた「合唱曲・歌詞に込められた想いシリーズ」に「親知らず子知らず」が無いのは、そういうわけです。
しかし、検索して「合唱曲・歌詞に込められた想いシリーズ」をチェックされてる方がすごく多いので、
もし、もへちゃん組の子たちが「親知らず子知らず」を歌っていたら、こんな通信を書いてたかな?
って通信を書いてみました。
親知らず子知らず
親不知子不知は、新潟県と富山県の県境に近い場所にあります。
北陸本線親不知駅~市振駅の間が「親不知」、親不知駅~青海駅の間が「子不知」と呼ばれています。
歌詞①「苔むした地蔵」
荒磯の岩かげに 苔むした地蔵が
親不知観光ホテルのホームページに「苔むした地蔵」が紹介されています。
この地蔵が何を見つめているのか?
それは、歌詞に込められた思いを知ることで、感じとれるはずです。
歌詞②「子を呼ぶ母の叫び、母を呼ぶ子のすすり泣き」
天下の難所
子を呼ぶ母の 叫びが聞こえぬか
親不知という土地は、日本アルプスの先端が海まで伸びていて、その山の先端を日本海が侵食してできた断崖が15kmも続いてます。
すなわち、波打ち際まで日本アルプスがそびえ立っているって感じです。
だから、トンネルができた1912(大正元)年より以前は、崖すれすれ、荒波の海すれすれの道を通るしかなく、天下の難所と呼ばれ、北陸最大の危険地帯でした。
上の画像の「100年以上前の道」を通るわけです。
さらに、ここの海は「穏やかな海」ではありません。
「通り抜けるのに親は子を、子は親をかえりみることができないほどだった」ことから、この天下の難所に「親不知子不知」の名前が付けられたそうです。
切り立った断崖に打ち付ける海。
旅人は、荒波に体を持って行かれないようその崖にしがみつき、死を間近に感じながら、やっとのことで通行していたそうです。
海沿いの道の崖側には天然のくぼみが何カ所かあり、波が高いときはそこに逃げ込むこともできたそうですが、波がおさまらず1週間も身動きがとれなかった旅人もいたとか。
まさに命がけの通行だったわけです。
親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消え行く
古くは、壇ノ浦の戦い(1185年)後の平頼盛のこんな話が現在に伝わっています。
兄の清盛と対立していた平頼盛は、越後(新潟)で落人として暮らしていました。
壇ノ浦の戦い後、このことを知った奥さんが、京都から越後を目指しました。
越中(富山県)を過ぎ、越後との境目にさしかかると、道は波の打ち寄せる絶壁の下の狭い砂浜だけでした。
波が来ると岸壁に身を寄せ、波が引くのを待って進みました。
しかしとうとう波に足をすくわれ、子どもとの手が離れ、子どもは波にさらわれてしまいました。
その悲しみを詠んだ歌が
親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消え行く
「親不知」が天下の難所だった証
親不知が交通の難所である証として、「知の冒険」というブログでは、
親不知は難所だったということもあり、交通の便が分断されていました。
そのため、親不知の両側では文化の交流が少ないこともあり異なる文化が多かったようです。
そのため、以下のような違いが東西で見られるんですな〜!
【正月の雑煮の餅の形】
・東日本 → 丸
・西日本 → 四角
【灯油を入れるポリタンクの色】
・東日本 → 赤色
・西日本 → 青色
【おにぎりの呼び名】
・東日本 → おにぎり
・西日本 → おむすび
ということが語られています。
歌詞③「悲しき命、悲しき母と子、悲しき人、哀しみ」
平頼盛の子どもだけでなく、その後も名もなき何人もの旅人が親不知で命を落としたに違いありません。
次々に 次々に 2つの悲しき命をうばい去ったという
この合唱「親知らず子知らず」は、親不知の荒波に飲まれて命を落としてしまった人々を眺め続けてきた地蔵の哀しみを、嘆きを歌った曲かもしれません。
けれど、地蔵はもちろんですが、親でさえも、子でさえも、相手のことを救えない…
ここ「親不知」はそんな土地。
そして、
- 自分は生き残れたけれど失われた命を嘆く母
- 自分は生き残り、失われた命を嘆く父(または夫)
- 父をあるいは母を失い、悲しみにくれる子…
その嘆きが、その悲しみが歌になったもの。
それが合唱曲「親知らず子知らず」なのです。
歌詞④「悲劇にむかって、いどむ喜劇(もの)」
悲劇にむかって いどむ喜劇(もの)を 運命の神は憎むか…
運命の神は、「天下の難所」として作った親不知をわざわざ通ろうとする人間のことを「喜劇」として見ていて、
- 行方不明だった父に会いに行く
- 家族を養うため、仕事でどうしても親不知を通らなきゃならない
- 行商のため、人がなかなか行こうとしないところに行かなければならない…
そんな、人間の切実な理由なんか考慮してくれない…
考慮しないどころか、憎むかのように、今日も荒波が容赦なく旅人に襲いかかる…。
歌詞ではないけれど「カモメの鳴き声」
かもめは啼きつつとびかい…
合唱ではここのフレーズで、ソプラノ担当がカモメの鳴き声を歌います。
切なく悲しい鳴き声…
人も、カモメも、地蔵も、ここ「親不知」では悲しむことしかできない…
歌詞⑤「夕暮れる」
じっと見つめる苔むした地蔵も 夕暮れる
遙か昔に供養のために建てた地蔵に夕日が当たり、今日も暮れていく。
親不知の海もその遙か彼方まで夕暮れていく。
悲しみが癒やされることなく…
レクイエムでもなく、鎮魂歌でもない
「違い比較辞典」というブログに「レクイエム」と「鎮魂歌」の違いが書かれてました。
- 「レクイエム」とは、カトリック教会における「神に死者の安息を祈るミサ」のことであり、かつ「神に死者の安息を祈るミサ」の式中に使われる「ミサ曲」のひとつを意味します。
- 「鎮魂歌」とは、「死者の魂を鎮めるために捧げる詩歌」や「鎮魂祭に歌われる歌」のことです。
この合唱曲「親知らず子知らず」は、レクイエムでも鎮魂歌でもないように思います。
だって、「安息」だとか「死者の魂を鎮める」って歌ではなく、ただただ悲しみを歌っているように思うから…
そう考えると前述の
親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消え行く
という平頼盛の子どもが波にさらわれた時の歌から詠みとれる「救いの一切無い悲しみ」。
この「救いの一切無い悲しみ」が、合唱曲「親知らず子知らず」の悲しみと同じように思います。
(歌詞の全文及び、もへちゃんお薦めの合唱動画については、もへちゃん先生の学級通信の資料置き場にあります。)
おわりに
「悲しみ」を表現する
合唱曲「親知らず子知らず」は、悲しみを歌う歌です。
我が子を亡くす悲しみについて、もへちゃんは知っています。
娘を亡くしてもうすぐ5年になりますが、まだ悲しみは癒えません。
もへちゃんは「歌を作る」ことはできません。
でも、悲しくて、悲しくて、悲しくて、悲しい…そんな歌なら知ってます。
米津玄師さんの「lemon」や、RCサクセションの「ヒッピーに捧ぐ」…これらの曲はこの5年間、何十回も聞きました(T_T)
(これらのYouTube動画も、もへちゃん先生の学級通信の資料置き場にあります。)
ちなみに「本を書く」、「シナリオを書く」、「ブログを書く」なんてことなら、もへちゃんでもできます。
娘を亡くしてしばらくは、治療の一貫として、大事な人を亡くした方が書いたブログを読んでました。
けれどたま~に、今回みたいに娘のことをぼやかしながらブログに書くことはできるようになりましたが、その悲しみを真正面にとらえて書くことはまだできません。
兄弟ブログ「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」のトップページにある「樽美酒風木魚」は、娘を亡くした後に取った病休中に作ったものです。
けれど、この木魚の作り方についてもまだ書けてません。
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