2020/08/07
はじめに

昨日(2020/8/6)は広島平和祈念式典がありました。
広島市長の平和宣言は、人類の脅威に対して連帯を求めることの重要さを語られていました。
広島市長が平和宣言の中で言われた「人類の脅威」とは、「新型コロナウイルス感染症」であり、「自国第一主義」でした。
そして、日本政府に対して、
- 核兵器禁止条約の署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて欲しい
- そうすることで、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい
と述べられました。
それに対して安部総理の挨拶は、核兵器禁止条約の締結に関しては一切触れられませんでした、去年同様に…。
安部総理の挨拶に反して、毎年の広島市長、長崎市長が語る「平和宣言」は、反戦平和の教材そのものです。
そこで今回は、もへちゃんが殊更、心に響いた2019年の長崎 平和宣言のことを書いた「おみやげ通信 第1号」(2019年8月19日発行)を紹介します。
2019 長崎 原爆犠牲者 慰霊平和祈念式典
平和宣言
私が毎年のように長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加するのは、暑い暑い中で、蝉の声と遠くになるサイレンを聞きながら、喪服姿のじいちゃん婆ちゃんたちの中に座り、長崎市長さんが語られる平和宣言を聴くのが1つの理由です。
今年(2019年)の平和宣言はことさらに心に訴えかけました。

目を閉じて聴いてください
幾千の人の手足がふきとび
腸わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
ケロイドだけを残してやっと戦争が終った
だけど……
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない
人は忘れやすく弱いものだから
あやまちをくり返す
だけど……
このことだけは忘れてはならない
このことだけはくり返してはならない
どんなことがあっても……
これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。
自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。
だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。
そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。
核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。
(中略)
世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。
核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。
そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。
1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。
一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました
私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。
(中略)
人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。
それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
平和のためにできることはたくさんあります。
あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。
そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。
それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。
◯中 核兵器廃絶署名
私は長崎市長の平和宣言を聞いて、昨年度(2018年度)、◯中で集まった核兵器廃絶署名300筆のことを思いました。
署名活動に取り組んだ実行委員長のMさんをはじめ、Sさん、Nさん、Kさん、Yさん、Fさん、Mさん、Kさん、Sさん、Oさんのことを思いました。

彼ら彼女らのとりくみこそが長崎市長の田上さんが言われた
- 小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました
- 私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです
の具現化されたものなんだなと思いました。
あの300筆の署名は、高校生10000人署名活動で集められた署名と合わせて、8/18~8/23にスイス・ジュネーブの国連欧州本部などに高校生平和大使によって届けられます。
モテモテ?
今年(2019年)の長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典では、やたらと声をかけられました。
まずは外国人のご夫婦から身振り手振りで「Tシャツを写真に撮らせてくれ」と。
9条Tシャツを着てました。
続いて時事通信社の記者、そして「我孫子市中学生長崎派遣団」の中学生からインタビュー。
最後は金属探知機(笑)

おわりに

「この平和宣言に画像を合わせるだけで、すぐれた朗読劇ができる」ともへちゃんは思いました。
今年(2020年)は、新型コロナウイルス感染症の影響があり、長崎 原爆犠牲者慰霊記念式典には参列できません(T_T)
代わりにテレビ中継を見ることにします。
昨日見たドキュメンタリー
8月前半のこの時期は、式典の中継だけでなく、反戦平和をテーマにしたすぐれたドキュメンタリー番組が数多く放送されます。
昨日(20020/8/6)は、
- 8/6(0:50~1:40) NHK総合 BS1スペシャル「1945ひろしまタイムライン もし75年前にSNSがあったら」
- 8/6(22:00~23:00) NHK総合 NHKスペシャル「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」
が放送されました。
BS1スペシャル「1945ひろしまタイムライン もし75年前にSNSがあったら」
「1945ひろしまタイムライン」は、とても興味深い番組でした。
1945年の人になりきって、Twitter上で日々発信しているのです。
今日(2020/8/7)も発信しています。
内容は、8月6日に原爆が落とされた次の日の様子です。
興味ある方はこちらへ ↓

NHKスペシャル「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」
「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」は、「全記録」と銘打つだけあって、よく見る画像がたくさん出てきました。
原爆を落とした側のトーマス・ファレル准将(原爆制作チームのNo.2)をはじめ、被爆地の調査に来たアメリカ兵たちは惨状に直面し「原子爆弾は耐え難い」と感じたと番組では伝えていました。
また、その中には、原爆投下の正当性に疑問を感じる者もいたのだそうです。
「焼き場の少年」を撮影したジョー・オダネルもその1人です。
彼は
「この世のものと思えない被害を見た。死んだ人、子供たち、その母親、間もなく死ぬ人、飢えている人、そして原爆症、傷ついた人々を撮影していくうちに、日本人に持っていた憎しみが消えていった。憎しみから同情に変わった。なぜ人間が同じ人間にこんな恐ろしいことをしてしまったのか。」
と文章に残していました。
ドキュメンタリーでは、戦争を振り返った天皇の側近や官僚たちのインタビューも放送されました。
彼らのインタビューの中には、原爆で失われた命についての言及はありませんでした。
もへちゃんは「彼らは広島・長崎に行ってないんだ」と思いました。
原爆の効果を調査に来た米兵たちは、広島・長崎の惨状を「知った」から、被爆者の「思い」を理解できたのでしょう。
日本の官僚や天皇の側近たちは、広島・長崎のことを報告では聞いたでしょうけれど、見て・聞いて・感じなかったから、「思い」を理解できなかったのだと思われます。
そんなことを学べた番組でした。
今夜~明日のドキュメンタリー
今夜~明日のドキュメンタリーはチェック済みです。
- NHK総合 実感トドドド!「滅亡のリスト ターゲット オブ ジャパン」
- NHK総合 いちおし!九州沖縄「もういちど “ 長崎の原爆 ” をみつめる 黒本が教えてくれたこと」
- NHK Eテレ ETV特集「“ 焼き場にたつ少年 ” をさがして」
楽しみです(^o^)
朗読劇「1945」、寸劇+朗読劇「母と子の写真集」
原爆を扱ったもへちゃんの実践
- 朗読劇「1945」
- 寸劇+朗読劇「母と子の写真集」
これらについてはAmazonのKindleで出版しています。
Kindleとは、スマホやタブレット、パソコンで読む電子書籍のことです。
Amazonプライム会員の方は、月一冊まで無料で読めるそうです。
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