2020/08/06
はじめに

新型コロナウイルス感染症のせいで、2020年の8.6広島 原爆の日も大きく様変わりしました。
例年ならば、約5万人の人々が参列するそうですが、今年は785人に制限したそうです。
さて、もへちゃんは、ここ数年、毎年のように8月9日に長崎 原爆犠牲者慰霊記念式典に参列してきました。
ただし2017年だけは、8月6日に広島、8月9日に長崎に参列しました。
そして、両方に行ったからか、学んだこと、気づいたことがたくさんありました。
そこで「おみやげ通信 第1号 第1面」(2017年8月21日発行)を紹介します。
2017 平和についての学び(高校生平和大使から学ぶ)
以前、大先輩の先生から

夏休みをどう過ごす予定ですか?
夏が終わる頃、人間としてどう深まったか、語れるような日々を送ってほしいですね。
仲間と学んだり、呑んで語ったり…。
もちろん、大学を出たばかりの頃の飲み会のレベルでなくね(笑)
と言われたことがあります。
さて、夏休みを振り返ると、今年(2017年)は平和についてたくさん学べました。
- 7月29日(土)~30日(日)は、筑紫区互助会の「長崎フィールドワーク」
- 8月5日(土)~8月6日(日)は、被爆電車乗車体験や「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念記念式」参列。
- 8月8日(火)~9日(水)は、市民団体等が主催する学びの場や「長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典」参列。(平日だったため職免研修で行かせてもらいました)
これらの旅で、特に印象に残った出会いを報告しておみやげ通信といたします。
8月5日 第19代 高校生平和大使 活動報告

高校生平和大使は、1998年、核兵器の惨禍を知る被爆地、広島・長崎の声を世界に届けるために、未来を担う若者を国連に派遣したのが始まりです。
第19代高校生平和大使は、昨年8月に、日本各地にある高校生一万人署名活動実行委員会によって集められた核兵器廃絶署名を提出してきました。
その数は、2015年の国連訪問から1年間で集まった12万5314筆、また累計で146万2912筆となりました。

この活動は2001年に始まり、他に多くある署名の中で、世界で唯一、国連で永久保存が認められている物です。

国連軍縮部で19代目も軍縮会議でのスピーチが実現しました。

また、国連軍縮部ジュネーブ支局局長代行のメアリー・ソリマンさんにスピーチを発表し、私たちの活動に対する激励の言葉をいただくなど、国連という場で自分たちの思いを発表したことで、「私たちにも影響力がある」ということを肌で感じました。
けれど課題もあります。
それは、日本政府と私たち高校生平和大使の立場が異なることです。
私たち高校生平和大使の活動が日本各地で認められている反面、日本政府は核兵器廃絶を時期尚早としています。
この差を埋めていくために、私たちは高校生として何ができるのか、どのように活動を拡げていけばよいのかをこれからも考えていかなければなりません。
さらに、私たちの役割として被爆の実相を伝えることだけにとどまってはならないという課題があることがわかりました。
今回の訪問を受けて、私たちは過去から現在に至るまでの世界の情勢をもっと知り、自分の立場や主張を明確にしていかなければならないということがわかりました。
私たちは「核兵器廃絶」という国際的問題に直接的な力を持つわけではありません。
しかし私たちはこれからも地道な活動を絶やさず、平和への思いを現代のすべての人々に伝えていく努力をしなければなりません。




このスイス派遣では、私たち高校生平和大使のモットーである「微力だけど無力じゃない」を感じられ、実りのあるものとなりました。
私たちはスイス派遣で経験させていただいたことを糧に、世界が平和になる日まで、これからもあきらめずに、平和活動を続けていきます。

なお今年(2017年)選ばれた高校生平和大使(第20代)は、8月19日~25日スイス・ジュネーブの国連欧州本部などを訪問するそうです。
おわりに

2017年は、広島、長崎両方の原爆犠牲者慰霊記念式典に参加したからでしょうか…
もへちゃんは気づいてしまいました(>_<)
安部総理の挨拶が、ほとんど同じであるってことを
2017/8/6の安倍首相挨拶全文
この日(2017/8/6)の安部総理の挨拶は、以下の通りです。
赤太字は、8月9日の長崎での安部総理の挨拶と重なっているところです。
本日、被爆七十二周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心からお見舞いを申し上げます。
今から七十二年前の、あの朝、一発の原子爆弾がここ広島に投下され、十数万ともいわれる数多の貴い命が失われました。街は一瞬にして焦土と化し、一命をとりとめた方々にも、言葉では言い表せない苦難の日々をもたらしました。
若者の夢や明るい未来も、容赦なく奪われました。
このような惨禍が二度と繰り返されてはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み重ねていくこと。
それが、今を生きる私たちの責任です。
真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。
そのため、あの悲惨な体験の「記憶」を、世代や国境を越えて、人類が共有する「記憶」として継承していかなければなりません。昨年、オバマ大統領が、現職の米国大統領として初めて、この地を訪れ、被爆の実相に触れ、核を保有する国々に対して、核兵器のない世界を追求する勇気を持とうと力強く呼びかけました。
核を保有する国の人々を含め、広島・長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れ、平和への願いを新たにする。
若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。
政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。
そして、各国の有識者の知見も得ながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効五十周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。
今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら、援護施策を着実に推進してまいります。
特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
今や、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げられた、ここ広島市において、改めて、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げるとともに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。平成二十九年八月六日
内閣総理大臣・安倍晋三
7割、いや8割ほど赤くなってるように感じます。
今年(2020年)の挨拶は、どうかなぁ…
「このような惨禍が二度と繰り返されてはならない」と言ったけれど…
安部総理自身が、広島では「十数万」、長崎では「七万」もの方が犠牲になったと挨拶で述べられました。
そうなんです。
1945年のこの日、亡くなった方1人ひとりは、まったく違った人生を生きてきて、それが突然絶たれた日です。
1人ひとりに対しての文章なんて作れませんが、せめて広島で語ることと、長崎で語ることを変えようとは思われないのでしょうか?
広島市長や長崎市長が述べる平和宣言は、起草委員の方たちが、心を込めて作られているんだろうなってことが感じられます。
安部総理の挨拶も、誰かが作ってるのでしょうから、安部総理が一言
「広島と長崎は、文面を変えるように」
と言えばすむはずだろうに…
それさえもしたくないんだろうな~
だって、専守防衛の大原則から逸脱した「基地攻撃能力の検討」を自民党が提言し、安部総理は
「しっかりと新しい方向性を打ち出し、速やかに実行していく」
と発表したんですよ。
8.6の2日前に!
さらに、今日(2020/8/6)、広島市長は、「日本政府は核兵器禁止条約の締約国に」と平和宣言を通して、安部総理に語りかけました。
しかし、安部総理の挨拶には、昨年に引き続き核兵器禁止条約のことについて一切触れてませんでした。
挨拶では口にした「このような惨禍が二度と繰り返されてはならない」の言葉…本気で思っているとは思えません(T_T)
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