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あなたの住んでいる所も空襲、あったのでは?…6.19福岡大空襲

2021/06/18

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

6.19は反戦平和学習の「節目の日」

 昨年(2020年)の6.19は、このブログで「日本全国の空襲のあった日一覧」を書きました。

もへちゃん
もへちゃん

 あれからもう1年か~。

 早いなぁ…(>_<)

 このブログをご覧の方は、自分の住んでいる地域にあった空襲を、一覧から探してみてください。

 さて、もへちゃんの住む地域は、福岡市の近隣です。

 なので「6.19」は、76年前(今は2021年)の6月19日に起こった福岡大空襲を教材にした、反戦平和の授業を行う「節目の日」です。

 もへちゃんが若い頃は、学年部会で授業の持ち方を論議した後、平和授業としてとりくんでいました。

 しかし、超超多忙な日々の中で、だんだんとやれなくなってきました。

 若い先生は、

 平和授業って受けたことはあるけど、したことないんですよね~

と、指導案(先生用の授業の進め方を書いた文書)が無いと「福岡大空襲」の授業ができなくなってきました。

 そして近年では、ついに

 平和授業ってしたこともないし、受けたこともないから、イメージできません

という先生も出てきました。

歴史を学ぶ意味

 学校で歴史を学ぶのは、過去のできごとなどから、なぜそれが起きたのか、その理由や関係性を考え、その教訓を現代に活かすためです。

 戦争という過去の失敗から学ばなければ、歴史は繰り返されます。

 そこで今回は、福岡大空襲について書いた通信「3年3組学級記録 No.19」(2017年6月19日発行)を紹介します。

6.19

 (2017年から)72年前の6月19日深夜、福岡市は空襲を受け、1000人近くの方が亡くなった。

 いわゆる「福岡大空襲」だ。

もへちゃん
もへちゃん

 もちろん僕は、福岡大空襲知らない。

 けれど以前、一緒に仕事をした川口 勝彦かつひこさんから話を聞いたことがある。

遺体は全部黒い色をしていた 川口勝彦さん

 人には消せない記憶があります。

 私の場合、それは、まるで火の雨のように焼夷しょうい弾が降った福岡大空襲です。

 そして、あの大空襲で、私の家のすぐ近く、福岡市下川端町の第十五銀行(現・博多座)の地下で焼死した60人余の犠牲者のことです。

 その姿はあまりにもむごく、1人ひとりの姿が今でもはっきりと脳裏のうりに焼き付いています。

 当時、私は12歳。

 国民学校の6年生でした。

 あの日も、いつものように灯火管制とうかかんせいの下、暗い部屋でとこきました。

 枕元には、鉄かぶと、防空ずきん、足にはゲートルを巻いたままでした。

 午後10時半、ラジオで情報注意報の放送があり、注意報はすぐ警戒警報に変わり、間もなく空襲警報に変わりました。

 一斉に「ウーウー」とサイレンが鳴り、母と姉2人と一緒に自宅のたたみをはぐって、一坪ほどのごうに入りました。

 間もなく、世話役の男の人から安全な所に逃げるよう、指示があり、外にでました。

 南の空が真っ赤に染まっていました。

 米軍のB29から、焼夷弾が次々に投下されていたからです。

 その音は、まるで絹を裂くような音。

 あたりは火の雨が降っているかのようでした。

  

 4人で、どこに逃げるか、避難先を探しました。

 近くの櫛田くしだ神社、旧博多駅、そして第十五銀行ビルの地下はすでに満員と聞きました。

 それで、東公園を目指し、その途中、寺の防空壕に避難しました。

 空襲は午前1時ごろには終わり、まんじりともしない一夜が明けました。

 家に戻る途中、ほとんどの建物が焼き尽くされ、博多湾が丸見えだったことを忘れません。

 幸い火は、私の家の数メートル先でくい止められていました。

 

 昼すぎ、第十五銀行地下で犠牲になった人たちが、強制撤去された私のもとの家の跡地に運ばれてきました。

 ムシロを敷き詰めた上に次々と運ばれてくる遺体は、全部黒い色でした。

 小さな子を抱きしめたまま息絶えた母親。

 くうをかきむしるような姿で亡くなっていた男の人。

 中には、頭がない人、靴だけはいてあとは何も身につけていない人もいました。

 熱かったろう、苦しかったろうと、私は茫然自失ぼうぜんじしつ状態でした。

 あんなむごい死はもう2度と見たくありません。

 

 あれから60年が経ちます。

 もう戦争は絶対にしてはいけない。

 日本は「平和を守る」ことから1歩進めて、「平和をつくる」国にならなければいけないと思います。

シリーズ戦後60年 私の8・15⑤ 福岡大空襲 遺体は全部黒い色をしていた 川口勝彦さん 西日本新聞2005.7.23朝刊より引用

 川口さんは、小学校の先生をされていた。

 先生時代も、そして退職されてからも、福岡大空襲の語り手として活動されていた。

 その話からは、戦争に対する怒り、平和を求める思いがヒシヒシと伝わってきた。

在りし日の川口勝彦さん

 2009年9月、川口さんは亡くなられた。

 戦争を経験された方がどんどん亡くなられている。

もへちゃん
もへちゃん

 僕は、川口さんの思いをどれほどみんなに伝えられているだろうか?

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

 以前、「理想の通知表作り」に組合でとりくんだ際、川口さんと一緒に仕事をしました。

 その時、歴史を学ぶ意味とともに福岡大空襲のことを教えていただきました。

 その後、2012年、福岡大空襲をテーマにした平和劇「夜明け」にとりくんだ際、川口さんから聞いた話を活かしたつもりです。

 平和劇「夜明け」については、このブログで何度か書きました。

お詫びm(_ _)m と 宣伝(^^;)

 しかし、「書く」「書く」といいながら、「平和劇」の台本の電子書籍化は進んでません(>_<)

 「反戦平和の朗読劇」なら3作品を電子書籍化しましたが…

 ついでに、人権学習「教科書無償運動」も朗読劇にしました(^^)

 だって、もへちゃんが書いた朗読劇はB5版で約14ページ(上演時間約20分)

 一方、平和劇はB5版で

  • 2009年「手紙」(特攻隊)…24ページ
  • 2010年「さくら」(ナガサキ・嘉代子かよこ桜)…26ページ
  • 2011年「青葉」(地元教材・筑紫駅銃撃事件)…29ページ
  • 2012年「夜明け」(地元教材・福岡大空襲)…34ページ
  • 2013年「いのちの理由」(ヒロシマ・禎子さん、フクシマ)…53ページ
  • 2014年「禎子ふたたび」(ヒロシマ・禎子さん、フクシマ)…54ページ
もへちゃん
もへちゃん

 電子書籍化もしたいけど、

  • 発明アイデアコンテストにあと2作品、応募したいし
  • 冬用ヘルメットをウルトラ警備隊仕様にカスタムしたいし
  • 職場の駐車場の埋め込み式ポールを修理したいし
  • 麦わら帽子も編んでみたいし
  • ドラえもんのエプロンを作りたいし
  • カーテンの布でサロペットを作ってみたいし
  • カーテンの布で作務衣を作ってみたいし
  • 9月か10月には新しいバイクが来るので、いろいろカスタムしたいしし…

したいことがありすぎて…(>_<)

 これでもだいぶ減ったんですよ~

  • 発明アイデアコンテストに、1作品は出品したし
  • 夏用ヘルメットをカッコかわいくカスタムしたし
  • 冬用と春秋用のチューリップハットをそれぞれ作ったし
  • ショルダーバッグを作ったし…

 これらは「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」で、報告中です(^o^)

 

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