2021/05/18
はじめに

前回のブログで紹介した通信に、米倉斉加年さんが出てきました。
もへちゃんは教員時代、平和劇作りに長くとりくみました。
その中で
- 米倉斉加年さんに「あの先生、なんか持っとるぞ」と褒められたこと
と
- 吉永小百合さんから色紙をいただいたこと
この2つの出来事は、今でも自慢です(^^)
ちなみに、吉永さんから色紙のことは、以前、このブログで紹介しました。
今回は、米倉さんのことについて書いた通信「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.46」(2018年6月20日発行)を紹介します。
おとなになれなかった弟たちに…
数年前まで、国語の教科書に「おとなになれなかった弟たちに…」という話が載っていました。

作者は、学年だよりミニで何度か登場した俳優の米倉斉加年さんであり、米倉さんの体験が元になっています。
こんなあらすじでした。
太平洋戦争中、福岡市に住んでいた作者(文中では1人称で「ぼく」)が国民学校(現在の小学校にあたる)4年生だったときに、弟ヒロユキが生まれました。
父は戦争に行っていて、不在でした。
当時の日本は、空襲を受け防空壕で毎晩暮らす生活の中で、日本中、もちろん「ぼく」の家も食料が不足していました。
母は、自分が食べる分を「ぼく」に回していましたが、満足に食べない為に母は母乳が出なくなりました。
乳児であるヒロユキは乳を飲むしかないにも関わらず、ときどきにしか配給されないヒロユキの為のミルクを、甘いものが欲しい「ぼく」は盗み飲みしてしまいました。
そんな「ぼく」に母は怒るでもなく、『ミルクはヒロユキのごはんだから、ヒロユキはそれしか食べられないのだから』と言いました。
さらに空襲がひどくなり母は疎開を決心しました。
母と「ぼく」、ヒロユキ3人で親戚を訪ねましたが、親戚は顔を見るなり用件も聞かずに『うちに食べるものは無い』と言いました。
やがて、疎開先が見つかりました。
現在の福岡市早良区の山の中の一集落です。
いなかには食べ物がいっぱいあると思っていましたが、そこでも食べるものと交換に持っていた着物を出さねばならず、やがて着物も無くなりました。
「ぼく」たちは、疎開先で「疎開もの」と差別を受けました。
目の前の川には小魚が泳いでいましたが、「入会地」と言う権利で、魚を捕ることも山の中の木の実を採ることもできませんでした。
十日間くらい入院したでしょうか。
ヒロユキは死にました。
暗い電気のしたで、小さな小さな口に綿をふくませた水を飲ませた夜を、ぼくはわすれられません。泣きもせず、弟はしずかに息をひきとりました。母とぼくに見守られて、弟は死にました。病名はありません。
栄養失調です…。
おとなになれなかった弟たちに…(米倉斉加年著、偕成社刊)より引用

母はヒロユキが死んだ際にも涙を見せませんでしたが、ヒロユキを小さな棺に入れるとき、棺が小さすぎてヒロユキの亡骸が納まらなかったのを見て(ヒロユキがほとんど乳を飲むことができなかったにも関わらず、少しは)「大きくなっていたんだね」と言い、そして、それまで決して涙を見せなかった母がはじめて泣きました。
終戦の約半月前のことでした。
弟が死んで九日後の八月六日に、ヒロシマに原子爆弾がおとされました。その三日後にナガサキにー。
そして六日たった一九四五年八月十五日に戦争は終わりました。
ぼくはひもじかったことと、弟の死は一生わすれません。
おとなになれなかった弟たちに…(米倉斉加年著、偕成社刊)より引用

「おとなになれなかった弟たちに…」を劇にするのは大反対!
以前、勤めていた学校の平和劇を米倉さんが見に来てくれるということが前もってわかったので、私は米倉さんの書いた「おとなになれなかった弟たちに…」を題材にしようと考えました。
そのことを伝えると、米倉さんから強い反対をうけ、断念しました。

なぜ、そんなに強く嫌がるのだろう…
会ってお話を聞きました。

以前、福岡市早良区のある中学校が、「おとなになれなかった弟たちに…」を劇にして、そのシナリオを私に郵送して来たことがあったんだ。
シナリオを読み進めていくと、お腹をすかせた母や「ぼく」が、川の魚を捕って、地域の人に見つかって土下座をするシーンがあった。
私や母は、お腹が減って減って仕方なかったけど、山の中の果実や、川の中の魚を決してとったりしなかった。
それをしなかったから弟は死んだというのに!
しかも、シナリオを送ってきた中学というのは、戦争中、私たちが疎開した地域にある中学だった。
戦争中私たちを差別して、今になっても私たち家族を蔑むのか。
強い強い怒りでした。
戦争で犠牲になるのは弱い立場の女性や子どもです。
そしてその辛さや恨みは50年も60年経っても忘れられないことを、私は、米倉さんの怒りのこもったお話で実感しました。
おわりに

米倉斉加年さんは、2012年の夏に平和劇を見に来てくださり、講評後に絵本「おとなになれなかった弟たちに…」を朗読してくれました。
作者が朗読ですよ!!!
もへちゃんは、この朗読をCDにして国語の先生方に配って、とっても喜んでもらいました。
ちなみに、もへちゃんもちゃっかりと

サインをいただきました。
もへちゃんの宝物の1つです(^^)
米倉さんは、それから2年後の2014年8月26日に亡くなられました。
絵本の最後のページにあったとおり、ひもじかったことと、弟の死を一生わすれず、反戦平和を最後の最後まで求め続けられた生涯でした。
平和劇「夜明け」の秘密
この年、とりくんだ平和劇「夜明け」(題材は福岡大空襲)は、米倉さんから言われたとおり、「おとなになれなかった弟たちに…」を題材にしませんでした。
代わりに、主人公「多美子」の級友で、米村正文という少年を登場させました。
これは、米倉さんの本名が正扶三だったからです。
「夜明け」の一場面で
多美子とばったり会った米村正文は、疎開することを伝えます。
すると、一緒にいた多美子の兄から

正ちゃん、男なんやけんしっかりがんばらなばい。
ヒロちゃんと母さんば守らなよ。
とハッパをかけられます。
そして米村は去って行きます。
このやりとりは数分です。
米倉さんともへちゃんだけが知っていた「仕掛け」

観客の誰1人気づかないだろうけれど、米倉さんだけは気がつくだろうなぁ。
実は、このこと、今まで誰にも言ったことありません。
もへちゃんとともに平和劇「夜明け」を作った子や先生方で、このブログを見た人は、初めて知ることに違いありません。

はっ!
米倉さんがマネージャーさんに言った「あの先生、なんか持ってるぞ」というのは、この仕掛けのことを言ってたのかも(^o^)
コマーシャル
福岡大空襲をテーマにした平和劇「夜明け」は、90分ほどの劇です。
「夜明け」のシナリオは36ページあります。
ちなみに、もへちゃんが電子書籍にしててきた平和朗読劇は、15ページ弱で、20~30分の劇です。
さて、80~100分のシナリオは
- 「手紙」…特攻隊(穴澤利夫さんの手紙)
- 「さくら」…ナガサキ(嘉代子桜)
- 「青葉」…地元・筑紫駅銃撃事件
- 「夜明け」…地元・福岡大空襲
- 「いのちの理由」…ヒロシマ(佐々木禎子さん)
- 「禎子ふたたび」…ヒロシマ・東京電力福島第一原子力発電所事故
の6本あります(5と6は連作です!)。

これらもいつかは電子書籍化したいなぁ
と思っていますが…。
それまでは、以下の平和朗読劇、人権朗読劇で我慢してくださいませm(_ _)m
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