2021/03/30
はじめに

春休みなので、「春のマンガまつり」と題して、マンガネタの通信を紹介しているシリーズの4回目です。
今回は「オトナの一休さん」ネタ(^^)
「オトナの一休さん」とは、2016年~2017年頃にNHKのEテレで放送された5分間のアニメです。
史実を基にしているらしく、もへちゃんが子どもの頃に親しんだ「一休さん」とは、かなり違ってました。
どんなふうに違っていたのでしょうか?
それは読んでのお楽しみ(^^)
では、「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.47」(2018年6月21日発行)を紹介します。
オトナの一休さん
あなたたちのおうちの方が子どもの頃、はやったアニメの一つに「一休さん」があります。


私も大好きでした。
最近、NHKで「オトナの一休さん」という5分ほどのアニメ番組があっていて、興味をひかれて、見てみました。
ちなみに、一休さんとは、室町時代に実在した禅宗の高僧 一休宗純さんのことです。

私が見たのは「応仁の乱と一休さん」という話でした。
あらすじを紹介します。
オトナの一休さん 第二十則「応仁の乱と一休さん」あらすじ
1467年 室町幕府 第8代将軍 足利義政の後継争いが原因で、応仁の乱が始まりました。
この戦いで、民家や寺、合わせて3万軒余りが焼失し、京都は、焼け野原になりました。
そして、それは一休さんのお寺 大徳寺も例外ではありませんでした。

和尚、早く逃げましょう!
和尚!

無念じゃ…。
兄弟子が死に、兄弟子も我々も大切にしていた大徳寺も焼かれてしまったか。

どうしてこんな事になってしまったんでしょう。
その後、一休さんたちは、大徳寺から、山合いの庵に避難しました。
そこにも足軽たちが…

やはり、来たか。

えっ?

足軽たちに、火をつけられました!

ここも、ここまで。
さあ、荷物を持て。
行くぞ。

はい!

えっ?
もしかして、このための旅支度だったんですか?

ええ。
師匠は、もう10年以上前から、都で大きな戦がある事を予見し、いつでも逃げられるようにと。
本当にさすがです、師匠は。

へえ~
ついこの間まで、戦の影すら、なかったのに。
そして、一休さんたちは、都から6里ほど南の村に逃げ延びました。
(1里は約4kmなので、6里は約24km)

ひどいありさまですね。
まるで地獄だ。


和尚はなぜ、こうなる事が分かっていたのでしょうか?


そんなの簡単だ。
お上を見れば分かる。
酔いどれ将軍 義政は、この乱の責任を感じる事なく、花の御所で、庭造りや宴に溺れ、都が燃えるのを、酒盛りしながら見ていた。
語るに値しないほどの愚か者…。
しかも、その愚かさは、今に始まった事ではない。
こうなる事は、明白だ。

なるほど。

戦は、一部の愚かな人間が起こすものだからな…。

師匠!
兵が、この村にも迫ってきたようです!

ここにも?

義政よ。
人間界は、今や戦乱の真っただ中にある。
毎日、心を躍らせ狂酔して歌を歌う(短歌を詠むこと)など、今すぐやめよ。
頭を冷やして、国の事を、民の事を考えよ。
〈一休さん、振り向きテレビを見ている人に向かって語りはじめる〉

歴史は繰り返す。
いつの世も、お上が狂えば戦が起き、罪のない人々が苦しむ…。
貴様らの時代は、どうだ?
戦は、ひたひたと忍び寄るのだぞ。
喝!
歴史は繰り返す
応仁の乱は、南北朝の動乱の終結から75年後に起き、11年も続きました。
今年は、太平洋戦争が終わって73年目です。
もし忍び寄る「戦」があるとすれば、私は明確に

NO!
と否定します。
おわりに

は~い、面白かったぁ?
もへちゃんが、子どもの頃に見ていたアニメ「一休さん」は、目がクリクリしている小坊主の話でした。
渡ろうとした橋の横に「このはしわたるべからず」と書かれていたので、堂々と真ん中を通った…そんなトンチ話のアニメでした。
エンディングでは、一休さんが

は~い、面白かったぁ?
じゃあね~
と毎回、言ってくれました。
元旦は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
ある時、トンチ話ではない回がありました。
第9話「めでたくもあり めでたくもなし」です。
あらすじは
戦で追われた人たちが大勢、安国寺に逃げ込んできました。
けれど、お寺は貧乏で、食べ物を出せません。
そこで、一休さんはトンチで、食べ物を集め、お寺に戻りました。
しかし、逃げてきた人は数人だけになっていました。
聞くと、少し前に侍が来て、
「近いうちに戦が起きるから、腹が空いた奴、家がない奴はついてこい。男は砦を作り、女は飯を炊くのだ!」
「戦を手伝えば、思う存分、飯を食べさせてやる」
と言って連れて行ったとのこと。
- トンチを使ったけれど、結局、その人たちに何もしてあげられなかった
- 戦を憎んでいたのに、食べ物のために戦を手伝わなければならない人々
- 戦を恨むが、自分はどうすることもできない
その矛盾に思い悩んだ一休さんは、ドクロを杖の先に掲げて、正月気分でうかれる町を
「ご用心なさい ご用心なさい」
と言いながら歩きました。
「縁起でも無い」と言われ、町の人に石を投げつけられながら…
ちなみに、この回のエンディングは

は~い、どうだった?
じゃあね~
でした。
以前から

アニメ「一休さん」は、真面目な話の時にはエンディングが変わる
という都市伝説めいた話を聞いたことがありましたが、本当でした(^^)
ミャンマー国軍、民衆を100人以上殺害
さて、今日(2021.3.30)のニュースで、「ミャンマー国軍が、国軍記念日に反対するデモに参加している市民を114人殺害した」と言ってました。
オトナの一休さんの中の言葉

お上が狂えば戦が起き、罪のない人々が苦しむ…。
貴様らの時代は、どうだ?
が、現実になった姿だと、もへちゃんは感じます。
軍隊
遠い国の出来事だと思っている方が、もしいらっしゃるとしたら、それは危険だと思います。
「軍隊が『国民』を守る」間は、いいのかもしれません。
しかし、「軍隊が『国』を守る」となった時、反対派の市民に対して牙を剥くことがある…。
このことは、ミャンマー国軍だけでなく、今までの歴史で何度も繰り返されてきました。
日本だって、そうでした。
さらに、教育の中で「お国のために命をかけるのは、素晴らしいことだ」と教えた歴史も持っています。

まぁ、そのことを反省したからこそ、今の日本国憲法があるんでしょうけれど…
1947年に書かれた次の文章に、せつないほどに、そのことが書かれています。
みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。
ごぶじにおかえりになったでしょうか。
それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。
また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。
いまやっと戰爭はおわりました。
二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。
こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。
何もありません。
たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。
世の中のよいものをこわすことです。
だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。
このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
これを戰力の放棄といいます。
「放棄」とは「すててしまう」ということです。
しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。
日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。
世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。
おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。
また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。
これを戰爭の放棄というのです。
そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
あたらしい憲法のはなし(中学1年生用社会科教科書) 文部省発行
最近、「日本国憲法を変えよう」という発言をする政治家が、多くなってきたように感じます。
今回紹介した「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.47オトナの一休さん 」(2018年6月21日発行)に
もし忍び寄る「戦」があるとすれば、私は明確に「NO!」と否定します。
と書いたもへちゃんですから、自民党が作った日本国憲法改正草案の中に
第9条の2
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高司令官とする国防軍を保持する
日本国憲法改正草案 自民党
とあることに対して、強く

日本が軍隊を持つこと、反対です!
と意思表明したいと思います。

は~い、どうだった?
じゃあね~
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