2022/07/19
はじめに
もへちゃんの住む福岡県は、7月は「同和」問題啓発強調月間です。
そこで、2018年に起こった差別落書き事件に対し、「見て、感じて、行動する」ことについて、先生方向けに書いた通信を照会しています。
今回は、ほんの少しだけ、もへちゃんなりの「行動」を示した「人権教育だよりNo.4」(2018年5月23日発行)を紹介します。
差別落書きを見て②
児童センターに差別落書きを見に行って、一番驚いたのは何カ所にも書かれていたことでした。
(人権教育だよりNo.4には、何カ所にもわたって書かれた差別落書きの画像4枚を載せてました。
ブログの記事は不特定多数が見ることができるので、掲載はやめておくます)
人権教育通信No.2の裏面に、解放新聞の記事を載せました(同様の理由で、こちらもブログには載せてませんm(_ _)m)。
私は、あの記事の写真ばかりが印象に残っていた為、差別落書きは1カ所だけと思い込んでいました。
記事をよく読めば「壁の3カ所、13枚のタイルに…」と書かれていたのに。
実物を見て、その生々しさに胸が重くなりました。
ムラの方が
見に行くのにしばらく時間がかかった。
見たら苦しくなるってわかっとるけんね。
と言われた気持ちのいくらかは感じ取れたと思います。
「死ね」と書かれた差別落書きの重さ
でも、もしかしたら私が感じた重さは、「死ね」という言葉に対しての自らの中からわき起こる感情だったのかもしれません。
私は昨年9月に娘を亡くしました。
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青天の霹靂でした。
いろんなことを後悔しました。
仕事も手につかなくなり、病休を取りました。
愛する者と永遠に別れなければならない苦しみにのたうち回りました。
「死ね」と書いた人は、その苦しみを知らないのでしょうが…。
私は、その人に憎しみさえ感じます。
部落差別で命を落とした方たちの身内が、差別に対して鋭く追究していく気持ちを、今の私はよくわかります。
差別で命を落とすなんて、ありえません!
5月23日は節目の日
今日は5月23日。
55年前の今日、狭山事件で無実の石川さんが部落差別の結果、逮捕された日です。
55年の人生を差別によって曲げられる。
その苦しみを「知り」「感じて」「行動」したいと思います。
おわりに
差別落書きを「見て」、「感じた」もへちゃん。
今回紹介した人権教育だよりを使って、先生方に「自分の痛みを通して差別落書きの非道さ」を伝えようと試みました。
これが、2018年5月のもへちゃんの「行動する」でした。
痛みを語る
人権教育で、子どもたちの感性に訴えるためには、「自分の痛み」を語ることはとても有用です。
しかし、このことを頭だけで理解した場合
差別される側の当事者の方に、話してもらおう
と安易に考えてしまいます。
痛みを持つ当人が語る
もへちゃんは2018年、先生方に対するこの通信で、自分の痛みを語りました。
さらに、年度末に学年集会という形で子どもたちに語りました。
通信に書いた際(2018年5月)はそうでもなかったのですが、年度末(2019年2月)に学年の子どもたちに語った後
なぜ自分が語らねばならなかったのだろう…
と不安や孤独感を感じました。
なぜ語ったか
2018年1月、人権教育担当として、中3の最後の人権学習で「結婚差別」を提案しました。
ですが、学年部会で
結婚差別をとりあげるのは、難しい
と却下されてしまいました。
そこで、学年集会でもへちゃん自身が語らせてもらうことにしたのです。
「差別で命を失うことがないように」という願いをこめて、自分の中の痛みをさらけ出しました。
しかし、これがことのほか心にダメージを与えました。
自分で納得していたにも関わらず…です。
娘を亡くしてまだ2年しか過ぎてなかったからでしょうか…。
たとえ学年の子たちだとしても、多数の人に語ることのプレッシャーを、む肌身を通して感じました。
「差別される側の方に話してもらおう」の安易さ
この経験を通して、過去の先生方への研修等で「安易に被差別の立場の方に話をしてもらってきた自分」を、すごく反省しました。
不特定多数の人に対して、自らの痛みをさらけ出すことの不安感、恐怖感、孤独感…
「差別をなくすため」に語ることを了承してくれたわけですが…。
その方に語ってもらった分、依頼したもへちゃんには「差別がなくなった未来」をつくる責任が生じていた…
自分自身が痛みをさらけ出した後、苦しんだ経験で、やっとこのことがわかりました(>_<)
5.23…狭山事件で石川さんが別件逮捕された日
さて、今回紹介した人権教育だよりを発行した5月23日は、狭山事件で石川さんが別件逮捕された日です。
このことは以前も書いてますので、検索窓から検索されるか、一番端的にまとめたこちら ↓ を参照してみてくださいm(_ _)m
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