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学級が始まる際の通信②「担任の自己紹介(夢編)」

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

 8都道府県では未だに緊急事態宣言は解除されないままです。

 解除された所でも、開放感からか「密」な場が生まれつつあり、2週間以降の第2波がとても心配です。

 学校再開できたところは、とりあえず「学級開き」だと思いますが、遅れた学習も取り戻さねばならないため、担任の自己紹介も「あっさり」かな?

 ということはいつもに増して学級通信が重要視されるのかもしれません。

 そこで前回に引き続き、自己紹介を書いた通信、2010年4月27日発行の「3年7組学級記録 No.15」を紹介します。

自己紹介「夢編」

気象予報士になりたい

 中2、いや中1の頃だったろうか、理科第2分野の「天気」の授業で、カセットテープを聞きながら(当時はCDとかはなくカセットテープだった)天気図を書くってのがあった。

天気図 写真ACからの写真

 特に予習とかしてたわけでもないのに、我ながらよく書けた。

 たぶん、「たまたま」うまく書けたんだと思う。

 戻ってきた時に「A」がついててびっくり!

 それまで理科を特に好きでもなかったのに、その体験で理科に興味を持つようになった。

得意だった英語、その理由

 中1~中2、英語を教えてくれた村田先生(僕らはミス村田と呼んでいた)はチャーミングで、悪いことは悪いとビシッという強さと、生徒1人ひとりに対する気配り・優しさのある人だった。

 ミス村田を好きになった僕は、英語を一所懸命がんばった。

 中2の冬に英検4級をとったのは、当時英語に自信を持っていたからだ。

嫌いになった英語、その理由

 中3になり転校した先で会った英語の先生は、方言が強く、英語を読むときもよく聞き取れなかった。

 引っ越してきた僕にとって筑後弁なまりの英語はつらかった。

 「ミス村田みたいにカセットテープ使えよ」なんて、その先生のせいにして自分で努力することをやめてしまった。

気象予報士を諦める…自業自得

 高校に入り、2年生まで気象大学への進学を考えていた。

 天気予報をする人になりたいって思い続けていたからだ。

 その思いにブレーキをかけたのは、中3から嫌いになって、どんどんわからなくなっていた英語と、高校になって全く勉強しなくなって一気に「落ちこぼれ」た数学だった。

 模擬試験の結果、気象大学を志望している日本全国の高校3年生のうちほぼ最下位だった。

だからこそ今は…

 夢をくれた先生、その夢を叶える力を引き出してくれた先生がいた。

 そんな先生になりたいって思う。

 また、僕のように、自分で努力すべき時に人のせいにして逃げてしまう子がいたら、その間違いを気づかせる先生になりたいって思う。

先生になりたい

 その後、僕は尊敬してたバレー部の先輩が、学校の先生への道を選んでいく姿を見て「先生になりたい」って思い始めた。

 もちろん英語と数学の点数を考えれば、ほど遠い道のりだった。

 けれど、もう人のせいにしないだけの強さを持っていた。

 たぶんそれは、高校でバレーボールを3年間続けることができたから、自分というものに自信を持っていたからだと思う。

座右の銘「信じればかなう」獲得(^^)

 睡眠時間を削って勉強しまくった。

 最後の3ヶ月は1日17時間勉強した。

 3時間しか寝なかった。

受験勉強 イラストACからのイラスト

 そして思いは叶った。

 この体験から僕は、「本気になった時、学力は爆発的に伸びる」って信じている。

 水滴は長い年月をかけて岩に穴を開けるけど、その穴はせいぜい小指ほどの大きさだ。

 夢を叶えるためには、その穴に火薬を詰め、点火しなくちゃ!

 中3という時代は、爆発的な伸びを実感できる時代なんだ。

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

 担任の自己紹介、いかがでしたか?

 先生になった方なら、それまでの人生で様々なことを経験されていると思います。

 なにも「苦労話をしなくちゃならない」なんて決まりはありません。

 どんな恋をして、どんなふられ方をしたか

 どんな友だちと出会い、どんなバカなことをして、その友だちは今どうしてるか

 先生になる前に別の仕事をしてた方だったら、その時の楽しかったことやつらかったこと、そして結局なぜ先生を目指したのか…

 もちろん話せる範囲で、苦労話やつらかったことなんかを話すのもいいと思います。

 子どもたちが自己開示できるクラス、その第1歩を担任が示すわけですね。

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