2022/07/05
はじめに

もへちゃんの住む福岡では、7月は「同和」問題啓発強調月間です。
さて、時折

以前のようなひどい部落差別はもうなくなったでしょう。
「同和」教育なんてする必要無いんじゃない?
と言われる方がいらっしゃいます。
これは大間違いです。
以前から問題になっていた差別発言や差別落書きだけでなく、インターネット上での差別書込みや電子版「部落地名総鑑」の問題などの差別事件が発生しています。
そこで今回は、2018年5月10日に職場の先生に向けて発行した「人権教育通信 No.2」を照会します。
知って、感じて、行動する
差別落書き
ゴールデンウィーク前、センター学習に行った際、ムラの方と「児童センターの差別落書き」の話になりました。
2018年2月22日に落書きが発見され、解放新聞3月12日版の記事にもなりました。
3月半ば、当時、勤務していたN中で「同」推(「同和」教育推進教員の略、2018年当時の正式名称は「児童生徒支援加配教員」)の先生から、そのことを教えてもらいましたが、その頃の私は体調がすぐれなかったことを理由に、見にいくことをしませんでした。
けれど、記事だけはしっかり読んだつもりでいました。
今回、ムラの方は

私も差別落書きの報告があってから見に行くのにしばらく時間がかかったよ。
見たら苦しくなるってわかっとるからね。
その後、見に行ったけど、やっぱり身が縮む思いやった。

『死ね』って書かれとったもんね。
たまらんかった…
と話してくれました。
私は、記事だけ読んでわかったつもりになっていた自分を恥じました。
ムラの方から語られた「身が縮む思い」「たまらんかった」という言葉。
初めて自分の至らなさに気がつきました。
今まで

人権学習とは『知って』『感じて』『行動する』まで、生徒に求めることです。
と言ってきた自分が、「知って」で止まってしまっているにもかかわらず、被差別の立場に立っているつもりになっていたわけです。
ムラの方からは

まだ落書き、残しとるらしいよ。
館長に連絡してみたら、見せてもらえるんやない。
と教えてもらいました。
そこで5月8日、連絡を取って、見に行ってきました。
- 差別落書きの事実を 知って
- ムラの人の思いを 感じて
- 実際に落書きを 見に行きました
見に行ったことで、さらに感じたことがありましたが、紙面がもうありません。
人権教育通信No.3以降でお伝えしたい(さらに行動)と思います。
部落差別の現実を感じる
今回のことで、Y先生が言っていた

センター学習に行くことで部落差別の現実を感じることができる。
というのは、こういうことなのかと腑に落ちました。
おわりに

差別落書きに関して、「他人事」で捉えると、その問題性が見えなくなります。
「我がこと」として捉えてみましょう!
「ひとごと」を「我がこと」へ
もしあなたの家の壁に
- ◯◯(あなたの名前)、死ね
- ◯◯(あなたの家族の名前)、消えろ
- ◯◯(あなたの子どもの名前)、くさい
なんて書かれたらどうでしょうか?
腹が立ちますよね。
腹が立つだけでなく、相手が誰だかわからないというのは恐怖です。

我が子に向かって悪意が向けられている。
けれど、相手が誰だかわからない…
どうやったら守ってやれるの?
被差別部落の人に向かって書かれた差別落書きも、怒りとともに、「我が子たちを守ってやれない恐怖」につながるのです。
- 身の縮む思いやった
- たまらんかった
というムラの方の言葉はそれを示しているのです。
コメント