2021/12/31
はじめに
今日(2021/12/31)で2021年が終わります。
一休禅師の狂歌に
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
という句があります。
明日はめでたいお正月ですが、めでたくもない「民主主義の危機」も続きます。
2021年は、昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染症に、生活のほとんどが影響を受けた年でした。
秋にあった選挙では、憲法9条を何が何でも変えたい自民党の議席は減りました。
しかし、憲法改正に前向きな国会議員が衆参両院で3分の2以上を占めてしまいました。
なので、反戦平和教育にこだわってきたもへちゃんとしては、「危機は相変わらず継続している」と感じるわけです。
これは、「政治へのあきらめ」の表れといえる低い投票率(2021年衆院選は、戦後3番目に低い投票率)の結果です。
この低い投票率は、現職の政治家たちの言動(ごまかし、忖度、開き直り…)、政治家・官僚等の不祥事などが理由だと思われます。
しかし、それだけでなく、「教育の結果」があるのではないか?
とも、もへちゃんは感じています。
そのことを、やんわりと子どもたちに伝えた学年通信「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.161」(2019年2月20日発行)を紹介します。
結露
雨の日の結露
昨日は午前中雨だったせいか、床も壁も階段の手すりも結露でビチャビチャになりました。
学校のような建物はどこも同じようで、ネットで検索してみると結露対策に工業用扇風機を使っている学校をみつけました。
なるほど~
空気の流れがあれば結露は発生しないもんなぁ。
と思いましたが、これを◯中に応用しようとしたら、扇風機が何十台も必要になりそうです。
年に数回なので、我慢かな(^^)
間違ってるルールを正しい手順で変える生徒総会
①結露がひどい日の「清掃前の黙想」
ただ気になったことが1つ。
結露でビチョビチョになった水分が、上靴の汚れを廊下の方に取り込み、床はかなり汚~くなっていました。
清掃前の黙想ってふだん、何も気にしてませんでしたが、私は昨日のビチョビチョの床に座る気にはなりませんでした。
白っぽいズボンだったのでなおさらでした。
ビチョビチョでもルールを守ろうとする姿は「さすが◯中生」と言えますが、
なぜ「結露がひどい日は正座はしなくていい」というルールを生徒総会で提案しなかったんだろう?
と思いました。
みんなが困っていることを、正しい手順をとって、解決してこその◯中生であってほしいなぁ。
②パン注文が少なくても、パン箱を持って行かなければならない
同じようなことをパン受け取りの際に感じます。
私たち副任は、お昼ご飯前、週替わりで「配膳室手伝い」「職員用牛乳運搬」「パン係指導」等をしています。
4時間目が授業で数学係の人と話していたり、解けない問題について相談されたりしたらそれらの仕事に遅れます。
パン係指導だったら、遅れたりするとパン箱が残っていたりするんです。
うわぁ◯の◯(クラス名)、パン箱、持って行っとらん(行ってない)!
説教や!!
「パン箱を持って行くのがめんどくさい」って気もわからんではないのですが、「パン箱を持って行く」というルールにもそれなりの意味があると思うのです。
なぜ生徒総会で生活の改善を求めないのでしょうか?
パン箱を持って行くというルールに込められた思いを別の形で達成できれば、パン箱は置いていってもいいわけでしょ。
こっそりパン箱を置いて、後から怒られるよりよっぽど建設的だと思うのです。
なぜ折り合いをつけようとしないんだろう?
3年生のあなたたちに問題提起しても、もう◯中の生徒総会に参加できないからなぁ…。
あなたたちとこれからの◯中を考えていけないのがとても残念ですが、あなたたち自身、これから高校や大学、仕事に就いた時に
- 「どうせ言っても変わらんもん」
- 「黙って従っとけば何も問題ないやん」
とあきらめてほしくはないです。
理由はこんな調査結果を知ったからです。
今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~
今から5年前に内閣府が行った「今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~」という調査の1つが下の図です。
日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査です。
内閣府はこの調査から
諸外国と比べて,自己を肯定的に捉えている者の割合が低い。
と結論づけました。
自己肯定感が低い原因
「自分は価値のある人間だと思う」を自己肯定感と言います。
自己肯定感が低いと「どうせ出来ない」とやる前に決めつけてしまったり、他人と自分をすぐに比較したりすると言われています。
原因はなんだろうとネットを検索していると、
社会に適合するように、平均的な人間を育成する日本の教育が、自己肯定感を下げる原因になっていることがある。
とありました。
が~ん!!!
教育が原因とは~(T_T)
さらに記事は次のように続いていました。
日本の教育現場では、学年が上がるごとに「常識」や「規則」を守るものが評価され、決められた枠組みからはみ出す人は評価されない。
規則をよりよいものにしていく
私はこれらを読んで、規則をよりよいものにしていく行為そのものは、「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」トレーニングとなり、いずれは自己肯定感を高める行為になりうると思ったのです。
ここで勘違いしてほしくないのですが、「学校にお菓子を持ってきていいようにしたい」みたいなルールと「結露がひどい日は正座をしなくていいようにしたい」というのは、全く違うレベルの要求です。
前者は「学校という公の場を、私的な場と混同している単なるわがまま」ですが、後者は「自分も含めてまわりのみんなが困っていることを解決したいという思い」です。
思考停止からの脱却を
あっ、結露に関してもう一つ、不思議に思った事がありました。
あなた、もしや水分でビチャビチャの床を「水拭き」しませんでしたか?
清掃後、水分と汚れともに拭き取られたクラスがありました。
けれど床がビチャビチャのままのクラスもありました。
あんなにビチャビチャの日は「乾拭き」の方が効果絶大です。
水分と共に汚れが乾拭きのぞうきんにびっしり付きます。
「水拭きする」ってのがルールなのかなぁ…。
でも、清掃の目的ってその場を綺麗にすることですよねぇ。
ならば結露の日は乾拭きでしょ~。
もし「水拭きする」がルールなら、それを生徒総会等で変えようとする人であってほしいです。
何も考えず「いつも水拭きだから」「水拭きがルールだから」という思考停止状態の人、ヤバいですよ。
私はネットの情報が全て正しいとは思っていません。
しかし、結露の日に水拭きしてしまう人がいる現状を見て、「自己肯定感」の記事についてはけっこう当たっているなぁと思わざるを得ませんでした(T_T)
おわりに
内閣府の白書「 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~ 」
2014年の「内閣府 子ども・若者白書(概要版)」の
- 「社会現象が変えられるかもしれない」
- 「社会規範( 社会生活を営む上で守らなければならない規律)」
という調査項目については、以前こちら ↓ のブログで紹介したことがあります。
次の時代の日本
もへちゃんは先生時代、長く生徒会指導担当の係をしてました。
「やらされる生徒会活動」や「先生の手先の生徒会活動」とかではなく、「自らの生活をよりよくしていく生徒会活動」や「自らが誇れる学校づくり」にとりくんだつもりです。
そんな生徒会活動を経験した子たちが、次の時代の日本をよりよくしてくれると信じて、2021年を終えたいと思います。
1年間ありがとうございましたm(_ _)m
そして
また来年~(^^)/
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