2021/12/30
はじめに
お正月の準備
昨日は、昼から夜まで餅つきをしたため、本ブログの更新をお休みしてしまいましたm(_ _)m
代わりに昨日は、工作ブログ「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」に書いていた
「家庭用餅つき機を使って搗く『かき餅』」という記事 ↓ を加筆修正させてもらいました。
さて、昨日餅つきをしたもへちゃんでしたが、友人からは
門松を作りました。
というメッセージをもらいました。
皆様のお正月の準備は、進んでますか?、
門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句があります。
人は、みんな必ず死ぬ。
みんなが一斉に年をとるお正月(日本古来の歳の数え方…1月1日を迎えたら1歳増やす)は、新年を迎えてめでたいけれど、死に1歩近づいたのだからめでたいとは言えない。
という意味です。
そこでお正月直前ですが、敢えて、今危機に瀕している「民主主義」をテーマにしたいと考えます。
ちなみに、前回も「民主主義」ネタでしたので、今回を「民主主義シリーズ」②と位置づけます。
では、学年通信「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.44」(2018年6月18日4発行)を紹介します。
民主主義の申し子
◯中の先輩
6月2日(土)にあった地区フォーラム。
◯中に今年から勤務している私にとって、どんなことをするんだろうと興味津々でした。
最初に話された学校運営協議会 会長のTKさんの話は、すご~く素敵でした。
参加していたのは保護者と、私たち教職員と、地区担当の生徒だけだったから、聞けなかった多くの皆さんに伝えようと思います。
下の写真は、2014年にD市文化ふれあい館であった「くらしのうつりかわり展」のポスターです。
この少年が、TKさん自身だと教えてもらいました。
TKさんは敗戦の年(1945年)、M小に入学し、その後、◯中へ。
だから、あなたたちにとって◯中の先輩にも当たるわけです。
戦時中の教育
戦争中の学校の授業は、
- 敵を殺すための体力づくりや軍事訓練
- 学芸会の出しものは、戦争ものばかり
- 音楽の授業は、軍歌を歌い
- 子どもでも「動員」と言って、武器工場で働いたり、農家に手伝いに行ったりした
- 学校のグラウンドにサツマイモをうえ、育てるのも子どもがした
でした。
戦後の教育
TKさんが、水城小に入学したのは敗戦の年。
上記のような教育は、戦争が終わるとともになくなりました。
そして、戦中の教育とは真逆の教育を受けました。
すなわち
- 平和の尊さ(平和主義)
- 民主主義の大切さ(国民主権)
- 人権の大切さ(基本的人権の尊重)
です。
ほかにも
自分の頭で考え、正しいことを見極めるための科学的思考
なども勉強しました。
だからでしょうか。
TKさんは自分の事を
私は、民主主義の申し子です。
と誇らしく自己紹介されました。
こんなふうに自己紹介されるおじいちゃんにお会いしたのは、初めてでした。
最初のその一言で、私はファンになってしまいました(笑)
当時の大人たちからのメッセージ
TKさんは、◯中を卒業する際、その年の卒業生の中からただ1人選ばれる「宮村賞」を獲得。
とても立派なアルバムをもらったそうです。
そのことをとても嬉しく思ったお父さんが、いろんな人に一言書いてもらったそうで、それも見せてもらいました。
忠孝
当時は、戦争が終わったといっても、戦前・戦時中の考え方をする人もまだいたそうです。
下の「忠孝」という文字を書かれた方は、まさにそんな人だったんだろうと教えてもらいました。
一隅の光たれ
右の一言は「一隅の光たれ」と書かれています。
戦前だったら、もっと勇ましい言葉や、自分を犠牲にして国を護る…みたいな言葉だろうけれど、
「一隅」にスポットライトを当てて、そこに「光」を見出す…
すなわち「小さな幸せを大切にしなさい」…この言葉、いいでしょ~。
と言われました。
当時の◯中の校長先生が書いてくれたのだそうです。
真理は必ず勝つ 我が道を行け
「真理は必ず勝つ 我が道を行け」と書かれた下の一言は、
真実を見抜き、周りがまちがったとしても左右されず、正しい道を選ぶ大人になれ。
最終的には、真理が必ず勝つ
という意味です。
民主主義の大切さ
戦前・戦時中、日本国民には真実が伝えられず、まちがった道を信じさせられ、最後にたくさんの犠牲を出しました。
真実を見きわめるためには、ものごとを正しく見る目と筋道立てて考える頭脳が必要です。
難しい言葉で言うと「科学的認識」と「論理的思考」と言います。
今までで、こんなに明確に「民主主義」の大切さを語った方は、TKさんが一番でした。
そこで地区フォーラムが終わった後、話しに行きました。
なぜ民主主義について話されたんですか?
それって、反戦平和を訴えるのと同じですよね。
もしかしたら、先生をされていたんですか?
いやいや違いますよ。
NHKの記者をしていました。
マスコミ(新聞、テレビ、ラジオなど)は73年より前、日本の国民を戦争に巻き込む役を担ったでしょ。
だから、自分が記者になってから、ずっとそうならないように頑張ってきました。
TKさんの話を聞きながら、戦前、マスコミとともに、学校の先生も日本の国民を戦争に巻き込む役を担ったことを思い出しました。
TKさん同様、私も戦争に反対します。
おわりに
幻のエンディング
もへちゃんが若い頃放送されていたアニメ「一休さん」のエンディングは、
は~い、面白かった?
じゃあね~
でした。
当時のもへちゃん組の子から「別のエンディングがある」があると教えてもらってましたが、見たことはありませんでした。
アニメ「一休さん」第9話「めでたくもあり めでたくもなし」
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句ですが、アニメ「一休さん」の第9話で出てきます。
あらすじ
第9話のあらすじを紹介します。
戦で逃げ延びて寺に集まってきた人々のために、食べ物をトンチで手に入れた一休さん。
喜んで寺に戻ると、集まっていた人々が数人しか残ってませんでした。
残っている人に話を聞くと、少し前に侍が来て、
まもなく戦が起きる。
男は戦場へ、女と子どもは飯炊きをすれば、腹一杯めしを食べることができるぞ!
と連れて行ったとのこと。
一休さんは、
トンチで食べ物を持って帰ってきたけれど…。
結局自分は、逃げてきた人々に何もしてあげられなかった。
戦で追われてきた人々が、ごはんのために戦を手伝わなければならないなんて…。
戦が間違いなのだけど、自分にはどうすることもできない…
その後、一休さんは杖の先にドクロを掲げて町を歩き始めました。
涙を流し、「お気をつけなされ、お気をつけなされ」と言いながら…。
そんな一休さんに町の人々は、「縁起が悪い」と石を投げつけました。
そして画面には、一休禅師が詠んだと言われている狂歌
門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
が映し出されました。
は~い、どうだった?
第9話「めでたくもあり めでたくもなし」のエンディングは
は~い、どうだった?
じゃあね~
でした。
幻のエンディングだったのです(^^)
コメント