文化祭での教室展示「巨大迷路」で起こりました!物語が!!

2020/07/27

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

 もへちゃんの住む福岡では、昨日(2020年7月26日)、新型コロナウイルス感染症の新規感染者が過去最高の90人となりました。

 しかし、後日、このブログを読み返すと「この頃は90人で大騒ぎしてたんだなぁ」なんて思うのでしょうか…

 東京都は、2020年7月23日に300人を超え366人になりました。

 いずれ福岡もそうなるのでしょうか…

withコロナでの文化祭

 新型コロナウイルス感染症の影響で、春の体育会(運動会)だけでなく、秋の文化祭も中止になりました。

 確かに近年の文化祭は、クラス対抗の合唱コンクールが主です。

 コロナ禍で、合唱は難しいですよねぇ…(T_T)

 飛沫は飛びまくるだろうし、体育館に全校生徒を入れるわけにはいかないし…

 でも、もし来年の秋もワクチン等ができなかったとしたら…

 来年こそは中止ではなく、withコロナの文化祭のスタイルを探し求めてもらいたいです。

 そのヒントが、32年前(1988年)の文化祭にありました。

 まさに「温故知新」ですね。

 今回の通信は、1988年10月28日~29日に行った文化祭の後に発行した学級通信「スバル No.80」(1988年11月1日発行)です。

迷路物語(ストーリー)No.1

45人の頭脳と、45人の協力によって見事に壁は立った!

記録224(10月27日の記録より)

 ついに“巨大迷路”が、完成した。

 少しきたないけれど、できてよかったです。

 苦労して作った物なんだから!!

 27日は遅くまでかかったもんな~

 僕は、天井から引かれている無数のひもを見て

もへちゃん
もへちゃん

う~ん

すごい!

とにやけてしまった。

そして文化祭初日、事件が起こった!

記録225(10月28日の記録より)

 今日は待ちに待った文化祭の日でした。

 3年生の劇やビデオなどを見ました。

 巨大迷路が壊されたのが一番嫌でした。

 一生懸命作ったのだから、壊してもらいたくないです!

破壊 イラストACからのイラスト

 壊した人たちは、頭で考えるのを止めていたんだ。

 上履きで地面に降りて平気な人がいる。

 その人たちと同様、「壊したら、作った僕たちが悲しむ」ってことを考えなかったんだ。

 以下、当日のくやしさの記録をいくつか挙げよう。

記録226

 今日、迷路が早速壊された。

 私は、劇を見てたけど、迷路が壊されたことを聞いて教室に帰りました。

記録227

 今日は残念なことに、2年生が巨大迷路を壊しました。

 本当に残念です。

 壊されて悔しい思いをしたね。

 でも、もう1つ憶えておいてもらいたいことがある。

 壊した2年生もいたが、その話を聞いて修理を手伝ってくれた2年生がいた。

 壊した2年生を怒ってくれた3年の生徒会役員の先輩がいた。

 君らは、そんな誠実な人たちの後輩であるのだ。

 来年、再来年、そんな先輩になっていけ!!

そして文化祭2日目

記録228(10月29日の記録より)

 今日の片付けの時、1分もかからず巨大迷路が崩れてしまった。

 作るときはだいぶ時間がかかったのに、崩す時はあっけなかった。

 僕は、ちょっともったいないと思った。

記録229

 土曜日は、巨大迷路を片付けた。

 せっかく作ったのに、もっと残したかった。

記録230

 せっかく苦労して作った巨大迷路だけど、片付けてしまってもったいないと思った。

 はり絵とかは残しておけるのに…

 あっけなく、本当にあっけななく、僕らの迷路作りは終わった。

 でも、形は残らずとも、45人共通の思い出として、心に残り続けていくだろう。

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

事件!待ってましたぁ!!

 この年の迷路の出来は、かなりのものでした。

 だから、1年生も上級生もたくさんの人たちに楽しんでもらえました。

 だからこそ起こったのかもしれない事件!

 聞けば、壊した子たち以外のたくさんの2年生・3年生からクラスの多くの子が慰められていました。

 そして、次の日の朝の会に、壊した2年生が謝りにきました。

 ねっ、ドラマティックでしょ(^^)

 もへちゃんは、ちゃっかりとその事件を通信のネタにして

「来年、再来年、そんな誠実な先輩になっていけ!」

とメッセージを送りました。

 なんでもない時にその言葉を言うよりは、かなり効果的だと思います(^^)

潔さ

 もへちゃんは、行事が終わったら、できるだけ早く片付けるのが好きです。

 博多山笠のことを書いた次の通信に

「祭りの熱狂をひきずることなく、日常の生活にパッと戻るその潔さを、私は学びたいと常々思っています」

と書いたこともあります。

 通信の最後に

「形は残らずとも、45人共通の思い出として、心に残り続けていくだろう」

と書きました。

 そのせいかどうかはわかりませんが、32年経った今でも、私の心の中にはしっかり残っています(^o^) 

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