2022/03/31
はじめに
今日は3月31日。
年度末です。
学校や会社では、退職や異動などで「今日でお別れ」って人もいる日です。
もへちゃんの今の職場でも、お一人、退職で去って行かれました。
今生のお別れってわけではないのですが、ちょっと寂しい感じがしました(T_T)
そこで今回は、転校する子に向けて書いた学級通信「学級記録 No.48~49」(1995年3月18日発行)を紹介します。
最後の授業
その朝は、学校へ行くのがたいへん遅れてしまいました。
それに、受け持ちのアメル先生が文法の質問をすると言われたのに、私はまるっきり、おぼえていなかったので、しかられはしないかと非常に心配でした。
それで、
「学校を休んで、どこでもいいから駆け回ろうかしら?」
とも考えたが、思い直しました。
中略
ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよくおぼえようと耳をふさいで、皆いっしょに大声で繰り返したりするので、先生が大きな定規で机をたたいて
「皆さん、もう少し、静かに!」
と叫ぶのが往来聞こえてきたものでした。
実際、私は気づかれずに席につくために、この騒ぎをあてにしていました。
しかし、あいにくその朝は、なにもかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようでした。
友だちはめいめいの席に並んでいて、アメル先生が大きな鉄の定規をかかえて、行ったり来たりしているのが、開けた窓ごしに見えます。
わたしは、戸を開けて、この静まりかえった真っ只中へ入らなければならぬ…
おお、どんなにはずかしく、どんなに恐ろしく思ったことでしょう!
ところが、大違いでした。
アメル先生は怒らずに私を見て、とても優しく言いました。
「早く席につきなさい。フランツ。
君がいなくても、始めるところだったのだよ。」
私は、慌てて椅子をまたいで、席につきました。
そしてやっと恐ろしさがおさまると、先生が卒業式の日でないと着ない、りっぱな緑色のフロックコートを着て、細かいヒダのついた幅広いネクタイをしめ、刺繍をした黒い絹のベレー帽をかぶっているのに気がつきました。
それに、教室全体に、何かしーんとした厳かな空気が漂っています。
中略
私がこんなことにびっくりしてる間に、アメル先生は教壇に上がって、優しい重みのある声で言いました。
「皆さん、私が授業をするのは、これが最後です。
アルザスとロレーヌ地方の学校では、今日限り、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました。
新しいドイツ語の先生が、明日みえます。
今日はフランス語の、最後の授業ですから、どうぞ、しっかり勉強してください。」
それなのに、私はまだやっと書けるぐらいです。
では、もう、習うことはできないのだろうか?
このままで、じっとしていなければならないのか?
私は、今まで無駄に過ごした時間、鳥の巣を探しまわったり、ザール川で氷滑りをするために学校をずるけたことを、今となって、どんなに恨めしく思ったことでしょう!
さっきまで、あんなに邪魔で荷やっかいに思われた本や、聖書や文法書などが、今では別れるのが辛い幼なじみに思われました。
アメル先生にしても同じでした。
「先生は、もうじき行ってしまわれる。もう会うこともあるまい」と思うと、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、すっかり忘れてしまいました。
-気の毒なアメル先生!
先生は、この最後の授業のために、晴れ着を着られたのでした。
中略
こうして、私が色々と考えにふけっている時、私の名前が呼ばれました。
私の暗誦の番だったのです。
私は、この難しい文法の暗誦を、大きな声ではっきり、一つも間違えずにすっかり言うことができたら、その償いにどんなことでもしたことでしょう。
しかし、最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しみで気持ちで頭も上げられずに、椅子の上で体を揺すぶっていると、やがて、アメル先生が
「フランツ、私は君を叱りません。もう十分罰をされたはずです…そんなふうにね。
私たちは、いつも考えます
-なあに!暇はずいぶんある。明日勉強しよう-
って。
そのあげく、どうなったのか…おわかりでしょう…。」
中略
それから、アメル先生は、フランス語について、次から次へと話を始めました。
フランス語は世界中で一番美しい、一番はっきりした、一番力強い言語であることや、
ある民族が奴隷になっても、その国語を失わない限りは、その牢獄の鍵を持っているようなものだから、私たちの間でフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話されました。
それから先生は、文法の本を取り上げて、今日の課目のところを読まれましたが、あまりよくわかるのでビックリしました。
先生のおっしゃったことは、私には非常に容易く思われました。
私がこれほどよく聞いたことは、今まで一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明をされたこともなかったと思います。
この学校を去ってしまうまでに、気の毒なアメル先生は、知っている限りのことを全部教え、いちどきに私たちの頭の中へ入れようとなさっている…とも思われました。
日課が終わると、今度は習字にうつりました。
この日のために、アメル先生は新しいお手本を用意しておかれました。
それには見事な丸い書体で、
-フランス、アルザス、フランス、アルザス-
と書いてあったのです。
それは、まるで、小さな旗が机の釘にかかって、教室中に翻っているようでした。
皆はどんなに一生懸命だったでしょう!
それに何という静けさ!
ただ、紙の上を走るペンの音が聞こえるばかりです。
途中で、一度、コガネムシが飛び込んできましたが、誰も気を取らません。
小さな子どもまでが、一心に縦線を引いています。
まるで、それがフランス語であるかのように、真面目に、心を込めて…。
中略
アメル先生は、ドイツの命令で、明日は出発しなければなりません。
永遠にこの土地を去らねばならないのです。
それでも先生は、勇気を出して、最後まで授業を続けたのでした。
習字の次は歴史でした。
それから小さな生徒たちが、皆一緒に「バ・ブ・ビ・ボ・ビュ」の歌を歌いました。
中略
突然、教会の時計が12時を打ち、続いてアンジェラスの鐘が鳴りました。
アメル先生は青い顔をして教壇に立ち上がりました。
おお、これほど先生が大きく見えたことはありませんでした。
「みなさん、
-みなさん、私は…
私は…」
だが、何かが先生の息をつまらせたので、先生は言葉を終わりまで言えませんでした。
そこで、アメル先生は黒板の方へ向きなおると、白墨を1つ取って、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で
-フランス万歳!-
と書かれました。
そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かないで、静かに手で合図したのでした。
(もうおしまいだ……帰りなさい)
最後の授業(アルフォンス=ドーデ著)より引用
おわりに
戦争を知らない子どもたち→戦争を知ってる子どもたち
1995年…戦争を知らない子どもたち
この通信には、もへちゃんの文章はなく、丸々「最後の授業」の引用でした。
ただし、通信に載せるため、文字数を減らす必要があり、所々で略しました。
ちなみにその「中略」の部分は、「普仏戦争(フランスvsプロイセン)でフランスが敗北したため、フランス語教育が禁止された」云々の部分です。
何時間かかけて読解する教材じゃなく、帰りの会で読むだけの学級通信だから、子どもたちにはわかりにくいだろうなぁ…
と判断したから、略しました。
2022年…戦争を知ってる子どもたち
しかし、今(2022年3月)の子どもたちならば、略す必要もなさそうです。
なぜならば、毎日のようにロシアによるウクライナ侵攻のニュースが、テレビやネットで流れているからです。
当時の子どもたちより、現代の子たちの方が、「戦争を『我がこと』のように感じられる」からですが…。
それってすご~く残念なことだと、もへちゃんは思います。
餞別
今日で退職した方は、もへちゃんが若い頃から、算数・数学教育や人権教育で学ばせてもらった方で、すごくお世話になった方でした。
そこで、もへちゃんらしい餞別をお渡ししました。
それは何かというと…
ジャ~ン♪
事務所にかかっていた布製のカレンダーをエプロンに仕立てて
◯◯◯◯◯でのこの1年間の日々を、エプロンに仕立ててみました。
と言いながら、渡しました。
今日退職された方にバレないよう、工作ブログ「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」には「カレンダーエプン」についての記事は、まだアップしてませんm(_ _)m
なので、今日、初公開です!
工作ブログでは、現在、「ネジ頭がつぶれた(なめた)ネジを緩める」シリーズをお送りしています。
エプロンカレンダーについては、近いうちにアップしたいと思います。 興味ある方は、こちら ↓ をクリックしてくださいm(_ _)m
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