2020/07/31
はじめに

ここ「もへちゃん先生の学級通信」は、平日に記事を更新しています。
土曜はドライブブログ
「もへちゃんのドライブ日誌(福岡からの日帰り、絶景、グルメ)」
日曜・祝日は工作ブログ
「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」
を更新しています。
座右の銘
さて,2020年7月19日(日)も工作ブログで
「ONE PIECEの「セニョール・ピンク」のTシャツ売ってないので自作あるのみ」という記事を書きました。
この工作ブログの記事の中で次のようなことを書きました。
もへちゃんの座右の銘の1つに
「美しいという生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である」
というのがあります。
むのたけじさんの「たいまつⅠ」という本の中の一節です。
セニョール・ピンクというキャラクターは、ONE PIECE作者の尾田栄一郎さんの創作物ですが、「自分を鮮明にした生き方」をしているキャラクターと感じるので、もへちゃんの一番好きなキャラクターなわけです。
ブログ「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」…「ONE PIECEの「セニョール・ピンク」のTシャツ売ってないので自作あるのみ」より
以前、むのたけじさんの「たいまつ」のことを学年だよりに書いたことがあったので、今回はその通信「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.57」(2018年7月9日発行)を紹介します。
4行に心をこめて②
私の愛読書の一つに「詞集 たいまつ」という本があります。
マンガだけでなく、ちゃんと文字の本も読むんです(笑)
詞集 たいまつの著者は、むのたけじさん。
- 1940年に朝日新聞社に入社しました。
- 1941年、日本は太平洋戦争に突入。
- むのさんは中国、東南アジア特派員となり、求められるがまま、日本国民に対して、戦争に対する意欲をかきたてる記事を書きました。
- 1945年8月15日、日本は敗戦しました。
- むのさんはその日、太平洋戦争の戦意高揚の記事を書き続けたことの責任をとり自ら朝日新聞社を辞めました。
- 1948年、故郷の秋田県横手市に帰り、タブロイド版(普通の新聞の半分の大きさ)の週刊新聞「たいまつ」を創刊し、戦争絶滅の立場で発行を続け、1978年の780号まで出し続けました。
- そして2016年、101歳で亡くなりました。
私が持っている「詞集 たいまつ」とは、週刊新聞「たいまつ」の1ページ目の最上段に載せていたコラムに書かれた短い文章です。

「詞集 たいまつ」の前文にはこう書かれています。
歴史にはたらきかけたことばは、ほとんどみな短かった。
たいてい3秒以内で言える15字以内だった。
子どもにもわかって、子どもでも言えるものでした。
そうでなくては、混乱のうずの中で流れ方向づけ、暗黒のただ中で人々を励ます火の言葉にならなかったのだろう。
詞集 たいまつⅠ むのたけじ著 評論社刊より
私の座右の銘の一つ、

美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。
も、この本からとりました。
そして私はそういう生き方を実践しているつもりです。
好きな文は他にもたくさんあります。
他人にあざむかれたくないなら、自分で自分をあざむくな。
きのうは去った。
あすはまだ来ない。
きょうというこの日に、全力を注ぎ込もう。
どんなにつまらなく思われる1日であろうと、どんなにつらい1日であろうと、きょうがなければあすはない。
ほらほら、中体連大会のこと、大雨で避難したこと、受験勉強のこと…自学ノートの4行に、読む人(自分も含めて)を励ます「火の言葉」を書きたくなってきませんか?(^^)
おわりに

もへちゃんが、むのたけじさんの「たいまつ」を知ったのは、30年以上前に広島県の八ッ塚実さんという先生の家を訪れた時です。
八ッ塚先生という方は、とてもすてきな学級記録(学級通信)を書かれていたので、押しかけて教えを問うたわけです。
その八ッ塚先生が読んでいる本の一冊が、この「たいまつ」だったのです。
また、金八先生こと武田鉄矢さんも愛読されているようです。
先生方はもちろんですが、1つひとつの文章は短いので中高生にも是非読んで欲しい一冊です。
美しい生き方
さて、今回紹介した通信中に
1945年8月15日、日本は敗戦しました。
むのさんはその日、太平洋戦争の戦意高揚の記事を書き続けたことの責任をとり自ら朝日新聞社を辞めました。
とありました。
長崎の平和祈念像を造った北村西望氏とは真逆です。
このことも最近、工作ブログ「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」の「Kindle出版用の表紙作りに挑戦」で次のように書きました。
北村西望氏は戦前戦中にわたり、戦意高揚のための軍人像などをたくさん作って名をあげた彫刻家です。
戦後一転して、平和や自由をテーマとした彫刻作りに意欲を燃やしたという評価がある反面、戦前戦中の自らの作品について深い反省をすることはなかったという批判もあります。
長崎市が、慰霊塔の建設構想を持っていることを知った北村西望氏は、「奈良の大仏に倣ってできるだけ大きな男神像をつくるべきだ」と自らを売り込んだそうです。
もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』…Kindle出版用の表紙作りに挑戦より
こんな生き方、美しくな~い(>_<)
やはりもへちゃんは
むのたけじさんのような生き方
「美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である」
に惹かれます。
若い頃から求め続けてきた反戦平和や反差別の考え方を、立場が変わったからと言って変えていきたくはありません。
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