2020/07/13
はじめに

通信を読まない子
どんなにすてきな通信を書いたとしても、読まない子どもはいます。
そのことに腹を立てる先生が時々いますが、これは誤りです。
腹を立てるまではなくとも「最近の子どもは…」なんて愚痴る先生もいます。
いやいや、読みたくなる通信を書けてない自分自身を嘆くべきです。
もへちゃんは以前、『学び合い』についての本を書く機会に恵まれ、編集者の方とやりとりする中で

作者として「この内容はどうしてもいれたい」と思われても、売れない本は作れないんですよ
と言われました。
世間で売られている本の場合は
- 大事だから
- 入れるべき内容だから
よりもまず「読みたくなるか」が重要なのです。
それって学級通信、学年通信も同じと思うわけです。
読みたくなるテクニック「ラリー」
前回紹介した学級集団を風船に例えた通信を読んだ子どもが、班ノートにしっかりと意見を書いてくれました。
もへちゃんは、さっそく学級通信に載せました。
学級通信→班ノート→学級通信
この「文字」を使った意見交換は、テニスや卓球でいうところの「ラリー」みたいな感じです。
子どもどうしの「文字」のラリーは、子どもが読みたくなるテクニックの1つです。
では、学級通信「スバル No.87」(1988年11月19日発行)を紹介します。
つぶやき
記録243
このことは僕の独り言と思って聞いて下さい。
今日のスバルの記録242(https://moheblo.com/blog/balloon/)を読んで考えた。
風船の引っ張り合いのことだ。
自分たちで押すのを20%としたら、残りの80%は引っ張られている。
その80%の中にも自分達が原因で「引っ張られている」部分があると思う。
特に授業中の態度によく現れていると思う。
自分の嫌いな科目、半分遊んでいるような科目…
それらの科目の授業で遊ぶことで、他の科目にまで被害が及んでいくようになった。
その結果が、2学期の中間テストで現れたと思う。
この状態を改善しなければ、風船はふくらむどころか、ますます外側から「引っ張られ」ていくことになると思う。
それどころか、風船がしぼんでいって、協力する気なんて2度と起きないことになると思う。
このままでいいならそれでもいい。
しかし、この風船を自分達でふくらませなかったら「風船を見捨てた」ということになる。
そうしたら1の3の「和」が足下からくずれていく。
そうすれば。クラスをよくしようとした先生や、みんなの努力が水のアワとなっていく。
クラスの1人ひとりが風船の命を握っている。
もし風船の命を誰かが手放したら、そこからクラスはボロボロになる。
入学して1年目からボロボロの1年間なんて、誰も過ごしたくないはずだ。
「風船をふくらませる」ということは、絶対に避けて通れない運命だと思う。
◯◯先生がおっしゃった言葉の中に
「今、避けられない苦しみを、避けて通ったら、いつか絶対に避けられない時が来る」
自分達は、その避けられないことに出会っていると考えればいい。
そのこととは「風船」のことだ。
一番の解決策は、クラス45人全員で風船をふくらませばいい。
そうすればクラスが変わっていくと思う。
班ノートより
問題になっている「授業中の態度」
ここまでひどくなっても、まだ立ち上がらないのか。
45人が「なんとかしよう」と思えば、それこそ、全く違う楽しい授業、クラスになっていく。
僕はまだあきらめない。
- 真の人間らしさをみんなが知る日
- 協力の素晴らしさを知る日
- 続けることによって得るもののとてつもない喜びを味わう日
それらを1の3である間に(スバルを通じて、夜遅くまで勉強して、君らとともに掃除して…)君らに贈りたい。
だから君も「風船」を内側からふくらましてみよう。
今までと違う「素晴らしさ」を味わえる。
もう待てない。
おわりに

1988年に担任したクラス
今回紹介したのは、1988年の学級通信です。
もう30年以上前になります。
今回の通信だけ読むと「なんてクラスだ(>_<)」って思われるかもしれませんが、もへちゃんはこのクラスに悪い印象は持っていません。
それは30年以上経ったからではありません。
いろいろ問題はありながらも、自らの力で乗り越えていったクラスと記憶しています(^^)
先生になって4年目、子どもたちに助けられながら、すてきなクラスにしてもらえました。
クラスマークを意識しての文章!
さて、班ノートからの記録243の文中に
「1の3の「和」が足下からくずれていく」
というのがありました。
これは、4月に決めたクラスマークを意識しての文章だと思われます。

中1でこの文章力…恐れ入ります。
記録243を書いた子も、今は40過ぎのおじさん(笑)
どんな大人になったんだろうなぁ(^o^)
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