2021/02/10
はじめに

もへちゃんの住む福岡で、2011年2月9日に、飲酒運転で2人の高校生が命を失いました。
亡くなった子の中学時代の同級生達が、飲酒運転で奪われた命についての悲しさ・悔しさをメールで多くの人に伝えました。
そのメールについて書いた学級通信を、前回 ↓ 紹介しました。
この事故から3年後、もへちゃんが勤めていた中学校で、亡くなった子のお母さんによる「飲酒運転撲滅」をテーマにした講演会を持ちました。
今回は、講演会の内容を、ぜひ保護者にも伝えたくて書いた学年通信「◯中 1学年だより No.26」(2014年11月4日発行)を紹介します
飲酒運転撲滅
10月29日、山本美也子さんを招いて、飲酒運転撲滅の講話を聞きました。
とても大切な話でした。
できるだけがんばってメモしてみましたので、もう一度読み返してみませんか。
また、この学年だよりやもらったステッカーを使って、大人の人に飲酒運転撲滅を呼びかけてみませんか。
講演内容

2011年2月9日
2011年2月9日、とても寒い朝でした。
私は読み聞かせのボランティアがあったので、寛大のお尻をパーンとたたいて「今日は早く出るよ」と声をかけ、家を出ました。
寛大の顔も見ませんでした。
声も聞きませんでした。
その日は、ボランティアの後、務めていた看護師の仕事に行きました。
寛大は、学校のマラソン大会の前日で、友だちのところに泊まることになっていたので、夜の11時23分にメールをしました。
「明日のマラソン大会、遅れんごとね」と
11時9分に事故にあったと後から知りましたから、そのメールは届いてなかったことになります。
2時30分に、警察から
「息子さんが事故に遭いました。即死です。」
という連絡をもらいました。
わけがわからないまま病院に行って、ほうたいでぐるぐる巻きの寛大を、お父さんが「まちがいありません」と確認しました。
「あんた、だいたいなんばしよったと」
部屋には、私の声だけが響きました。
飲酒運転で
警察の方に「人様に迷惑かけたんじゃないですか」と聞いたけど、「今は言えません」と言われました。
夜明けにいったんマンションに帰っていろいろ準備をしていると「ピンポ~ン」とチャイムの音が鳴りました。
玄関を開けると、テレビカメラとマイクがたくさんあって
「お母さん、息子さんが飲酒運転の車にはねられたんですよ」
と聞かされました。
マスコミの方から初めてそのことを知ったんです。
お友だちの家に泊まりにいってたから、その友だちのことを聞くと
「隼人くんも亡くなりました」
と聞かされました。
斎場には、もっとたくさんのマスコミの方が来ていて
「飲酒運転が、書いても書いても無くならないから、お母さん、インタビューに応えて」
と言われ
「飲酒運転は無差別殺人と同じです」
と絞り出すように応えました。
亡くなった2人
斎場では、大人の身勝手な行為で寛大と隼人の命が奪われたことに、いたるところで嗚咽や壁に頭を打ち付ける音が聞こえました。
亡くなった2人が伝えたかったことは、
「明日が当たり前には来ないということ。今生きているということは奇跡ということ」
です。
彼らの口癖は「俺たちには友だちたくさんおるっちゃん」でした。
葬儀には、1500人もの人が駆けつけてくれました。
こんなにたくさんの人に囲まれて生きてたんだなぁ、
もっともっと話しとけば、いろんなこと聞いとけばよかったなぁ
と思いました。
たくさんの方が来てくれたお礼を言おうとマイクを持ったとき、
「なんで寛大だったのか」
とお友達が叫びました。
私も同じ思いでした。
最後の約束
葬儀の最後に
「皆さんと一緒に飲酒運転撲滅の声を上げることができれば、社会を変えることができるかもしれない。残された者として、残された命を大切に守るためにも飲酒運転撲滅の活動にとりくみます。」
と挨拶しました。
これは寛大との最後の約束にもなりました。
その日の夕方、寛大の中学時代の友だちがメールを打ちました。
みなさんこんにちは。
私たちは多々良中央中学校の第35期生です。
私たちは大事な友達を大人の勝手なわがままで亡くしました。
ほんとうに悔しいです。
悲しいです。
寛大の命を返せって言ってやりたいです。
でも今、寛大の願いは、私たちが元気に笑っていられることだと思います。
できることなら、もう一度寛大に会いたい、そんな願いです。
電話しても、メールしても、寛大から返事はありません。
寛大は、私たちの笑顔を見ることが何よりの支えになると思います。
今、私たちができることは、寛大のために、飲酒運転撲滅を呼び掛けること。
それくらいです。
これで、寛大の力になれるのかは分からないけど、このメールをできるだけたくさんの人に回していただけたら光栄です。
私たちの大好きな寛大の死を、決して無駄にはさせません。
呼び掛けよろしくお願いします。
多々良中央35期生高校1年生一同
このメールは、全国にあっという間に廻りました。
子どもたちの力はすごいなぁと背中を押されました。
ステッカーに込めた思い
そのころは朝から晩まで泣いていたし、一歩も家から出てませんでした。
NPOの仲間たちが「活動しよう」と言ってくれ、飲酒運転撲滅のステッカーを作って活動しようと考えました。

ステッカーの三つのハートは、大きいのが身体の大きな隼人くん、白いハートは寛大、最後のハートは飲酒運転撲滅を願うすべての人の願いを重ね、表現しました。
たくさんの人に支えられ
飲酒運転撲滅を支えてくれているある企業のおかげで、今日はこのステッカーをみんなに配れます。
たくさんの人に支えられてがんばれてます。
みなさんも、たくさんの人に支えられて毎日を過ごしていると思います。
つまずいたとき、悩んだとき、苦しいとき、必ずそばに助けてくれる友だちがいます。
もう後悔したくない
私はマスコミの取材を断ったこと、ないんです。
飲酒運転をなくしたいから。
けれど、2チャンネルや我が家のSNSには
- 「子ども、死んだんやったらテレビとかに出るな」
- 「子どもが死んだんなら、また産めばいい」
- 「夜中にうろうろしよるけん死んでしまうったい」
そんな書き込みがたくさん来ます。
メールやラインは人を傷つける武器にもなります。
知識としてそのことは知っていましたが。我が家にそれが向けられ
「もしかしたら応援してくれている人が、こっそり書き込みしているかも」
そう思うと、また家から出られなくなりました。
でも、いろんな人の支えと、もう後悔したくないという思いから、少しずつこんなふうにいろんなところで話をさせてもらって、いつのまにか400回を超えました。
私が講演をする理由
2006年、福岡市の大きな橋で飲酒運転で子どもが3人亡くなったんです。
お母さんは泳ぎが得意だったから、沈んでいく車の中から子どもを一人ひとり救い出したんだけど亡くなったんです。
私もその事故のこと知ってて…、けれど目を背けてたんです。
そして5年後、寛大が飲酒運転で死んでしまった。
なんで、目を背けんで飲酒運転撲滅運動をせんかったんやろう。
そんなふうにもう後悔したくないから、今、一生懸命やってるんです。
飲酒運転を0にするために
2014年8月25日、「10000人のチームゼロ in大濠公園」には、たくさんのたくさんのたくさんの人が集まりました。

こうやってたくさんの人から声を上げてもらっているけど、まだ0になってないんです。
大人の皆さん
大人の皆さん、今夜の飲酒運転、明日の飲酒運転を0にしてください。
そのバトンを子どもたちに渡して欲しいです。
これから社会に出るあなたたち
これから社会に出るあなたたち
いのちが守られる社会、自分のいのち・人のいのちを守られる社会でがんばってください。
寛大とこゆき
柴犬のこゆきちゃんは、寛大がかわいがっていました。
小学生の頃は、自転車のカゴに入れて、運動に連れて行ってました。
中学生の時は話し相手で、一緒のベッドに寝てました。
茨城の企業が、こゆきを主人公にして、飲酒運転撲滅のコマーシャルを作ってくれました。
こゆきは、ソフトバンクのお父さんのように慣れてないから、30秒のコマーシャルを作るのに、9時間も撮影をしました。
コマーシャルの最後に「やめよう飲酒運転」と言うんですが、私はこの声が大好きなんです。
寛大の同級生の子が言ってくれてるんです。
いろんな犯罪の根っこは同じで、「やめよう」という一言が、1人・10人・100人…声がいっぱいになると犯罪はなくなると思うんです。
だから大好きなんです。
◯中生800人のエール
最後にお願いです。
みなさんからエールをいただきたいんです。
行きますよ~
福岡県のみなさんで目指すのは、
飲酒運転
「ゼロ」!!

うわぁ、すごい(^^)
ありがとうございました。
おわりに

とてもすてきな講演で、子どもたちは真剣に聞き入ってました。

だからこそ、もう一度、文字で読み直すことで、飲酒運転撲滅について子どもたちの強く心に残させたい。
そう思って、学年通信として後日発行しました。
また、

子どもを通してその保護者の方にも、山本美也子さんの話を伝えたい。
そう思って、いつもより気合いを入れて、通信を書きました(^^)
そして今、ブログを通してたくさんの方に、山本美也子さんの思いが届きますように。
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