2020/06/03
はじめに

今日は何を書こうかな~と過去の通信の束をゴソゴソ探してると、
1990年の年度末に書いたであろうレポートが出てきました。
内容は、
学級通信を私がどんな気持ちで書いているか
とか、
学級通信を書くことが学級集団づくりとどうつながっているか
などです。
そこで今回は、過去の通信ではなく、1990年度末に書いたレポート「学級通信と学級集団づくり」を紹介します。
学級通信と学級集団づくり
1989年度発行の学級通信「道のべ」
「学級集団づくり」という言葉は使い古され、多くのHow to 物の本が本屋に行くとズラーッと並んでいる。
しかし、それらの本を読んで「真似」をして、学級が素晴らしく変わったという話をほとんど聞いたことはない。
自分も、過去、そのようなあやまちをおかしたこともあるので、もし「真似」をしようと言うことで学級通信「道のべ」を読んでも何ら得るものはないであろう。

なぜ通信を書くのか、なぜ製本するのか
さて、なぜ自分が学級通信を製本するのか。
なぜ通信を書き続けるのであろうか。
- それは、ともに歩んだ生徒たちの足跡をしっかりと残したいという思い、
- そして、ともに歩んでいく中で、より人間らしい集団へ向かうよう、方向性を示す矢印として、
- また、1日せいぜい1枚しか書かないが、それをコツコツやり続けることで1冊の本ができる「継続の素晴らしさ」を学ぶ教材として、
- それから、教師「もへちゃん」の思いを音声だけで伝えるのではなく、文字として何度も見直しができるものとして伝えること、
これらのことが可能になるからやっている。
学級通信だけでは、たりない…だから
けれど、それだけでとても学級が「できる」とは考えていない。
自分が学級づくりの手立てとして用いているのは、
- 学級通信
- 小集団(班)
- 生活ノート(1人ひとりのノートを見る年もあれば、班のリレーノートという形をとる時もある)への朱筆入れ
である。
どれもみな互いに影響し合い、どれか1つが低調でも、学級作りは満足なものにはならない。
逆に、どれか1つから、他の2つを引き上げることができるのではないだろうか。
涵養…水が染みこむようにジワジワ変わっていく

子どもたちは心の底で
「よく思われたい」
「認めてもらいたい」
と考えているのではないだろうか。
生活ノートからの「記録」を選んで学級通信に載せる時、よく
「これ、俺のぜ~」
と言ってる姿を見る。
急に変わりはしないが、じわじわと言葉や行動が変わっていく。
この喜びを知っているから、生活ノートを見るというきつさ、
学級通信を書き続ける努力を惜しまずにやれるのである。
通信を書く際の読み手は誰か
以上のことからわかるであろうが、自分の書く学級通信の読者の対象は「生徒」である。
行事のお知らせのために書こうなどは、さらさら思ってもいない。
だから、彼らには
「道のべを支えるのはおまえらぞ~」
とよく言う。
彼らこそ学級の主人公であり、学級通信の主人公であるのだから…。
学級通信を書き続ける原動力
学級通信を作る上で最も大切なこと、それは「思い」である。
担任について言えば、
「こいつら何とかしてやらんと。絶対に何とかしてやらんといかん」
と心の底から感じられるか、
どんなきつい時でも投げ出さず、そう考えられるかが必要である。
その「思い」をぶつけるのが、自分の場合、たまたま学級通信のわけである。
だから、子どもたちにも「思い」を求める
生徒の側からも「思い」というのは、大切なものである。
班を作っているが、ただ机を付けているだけならば、黒板を見にくくなる分、無駄である。
班にするのは、班員どうしで互いの「思い」を知るためである。
特に、弱い立場に立たされたものの思いを知ること、感じることで
「何とかせんといかん、絶対に何とかせんといかん」
と心の底から湧き出させたいのである。
そう考えると、やらねばならないことがたくさん見えてくる。
- 力の弱いものの痛みを知らせているか
- 学力の低いつらさを感じさせているか
- 被差別の立場におかれたものの苦しみ・悲しみを学ばせているか
- そして、感じたことをエネルギーとして実行させているか
強者が悠々と暮らすため、弱い者が苦しめられる今の社会のしくみ(そんなことないなんて決して言えない、部落差別、在日朝鮮韓国人差別、女性差別、人種差別…)に対して、怒りをおぼえ、それをエネルギーとし、変えていこうとする次の世代を生み出すのが、我々の仕事なのである。
通信を書く際に気をつけていること
生徒たちは、よく学級通信を読んでいる。
つたない文章で、読みにくいので頭が下がる。
彼らの思いや、自分の思いを込めて書くように気をつけている。
だからこそ、自分の心が曇ることが1番恐い。
自分の思いが成長していく分はいいのだが、退行してしまえば学級の生徒たちに迷惑がかかる。
自分はまだまだ「思い」が成長しきっていない。
ただ、がむしゃらにやってきただけの気がする。
生徒たちには、迷惑かけっぱなしである。
毎年、毎年、過去の自分の浅はかさに嫌になる。
でも、こればっかりはしょうがない。
少しずつ変わっていく姿を子どもたちが見てくれて、何か感じてくれればありがたい。
学級通信なんて所詮 How to ものなわけで、その人その人の姿・形が違うように、個性があって当然だと思う。
だから「真似」をするのではなく、「いい」と思ったところを盗んで、自分の通信をつくり上げて、そして悩むことにより、また素敵な通信になっていくのだと考えている。
何よりも大切なのは「思い」があるかということ。

そして次に大切なのが、「その思いをどう実践していくか」ということである。
まだまだ自分は、原点の部分を深く学ばねばならない。
「思い」を磨かねばならない。
だからこの「道のべ」は未完成なのである。
おわりに

このレポートを書いたのは20代後半、まだまだな頃です(笑)
学校現場もなかなかドラマティックで、やんちゃな子たちもかなりいました(^^)
もへちゃん組の卒業生の人だったら
「なるほど~、もへちゃん先生はこんなつもりで通信を書いていたのか~。こんなつもりで班活動させていたのか~。こんなつもりで班長会してたのか~」
なんて思ったかもしれません。
中学生の読者の人だったら、今回のブログは退屈だったかもしれません。
ごめんなさい<(_ _)>
あんまり楽しい文章ではなかったですね~
あれから30年…やれたことは
レポートの終末あたりで
まだまだ自分は、原点の部分を深く学ばねばならない。
「思い」を磨かねばならない。
と書きました。
50代後半の今、振り返ると「原点を学ぶ」ため、「思いを磨く」ために、
- 被差別の人たちと出会い、思いを知ること
- 戦争の犠牲者の人とと出会ったり、資料を読んだりして思いを知ること
- まちがってると思うことに、反論し続けること
なんかは、やり続けたと思います。
50代前半で出会った『学び合い』
そして、このレポートを書いたず~っと後に『学び合い』の考え方に出会えて、それまでバラバラに理解していた「思い」が1つにまとまったように感じました。
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