2021/02/22
はじめに
前回、掲示物の人物イラストの目に対するイタズラについて書いた通信を紹介しました。
その通信の中で
『配役いれかえビデオ』を心の中にいつも持ち続けることが、「人権」を大切にすることになるのです。
学級通信「道のべ No.83」(1990年1月30日発行)より引用
という一文がありました。
「配役いれかえビデオ」とは、ドラえもん 23巻に収録されている「ぼくよりダメなやつがきた」に出てきたドラえもんの道具です。
あらすじについては、前回のブログの「おわりに」で書いてますので、そちらを参考にされてくださいm(_ _)m
道徳・ドラえもん「ぼくよりダメなやつがきた」での質問
- あなたの心に、一番ひっかかった会話はどれですか?
- それはなぜですか? 教えてください
をまとめた学級通信「道のべ No.62」(1989年11月11日発行)を、今回は紹介します。
ぼくよりダメなやつがきた
一番ひっかかった会話
「この世にぼくよりダメな子がいたなんて!!」…8名
88歩目
ここの場面で、もし僕がこの立場であれば、ぼくもそう言うであろう。
たぶん、自分よりダメな人間が来て、なんとなく大きくなった感じになっていったのだろうと思う。
でも、こんなことでは、なんとなくいけないような感じがしたので、この場面をとりました。
学習プリントより引用
89歩目
自分は今まで一番ダメだったので、自分以下の人ができて、うれしいのはわかるけど、
「なんてすばらしい」
と言うのは、おかしいと思う。
学習プリントより引用
「そろって0点とったり、忘れ物したりしてさ、仲よくいこうよ」…8名
90歩目
そろって0点とるよりも、2人でがんばって100点とる方がいいと思う。
それなのに、私もそれに似たようなことをやった(言った)ことがあるから。
学習プリントより引用
91歩目
のび太はこの時点であきらめているのに、多目くんはあきらめていない。
このへんで、のび太と多目くんのやる気の差がついていると思います。
学習プリントより引用
「よくなぐられた!!」…5名
92歩目
ビデオを見て、多目くんの気持ちがわかって、かわりに殴られたから。
学習プリントより引用
93歩目
友だちを思うのび太の優しさ…かな?
学習プリントより引用
「想像するだけで笑っちゃうよ アハハハ」…3名
94歩目
前の自分の立場と同じになっているのに、
「なんでそんなこと、言えるのかな~」
と思った。
「その立場になったことがあるなら、その人の気持ちがよくわかるはずなのに…」
と少し悔しくなった。
「あいつ、いいやつだよ。ずっと親友になろう」…3名
95歩目
そんなのは、自分の都合のいいように親友をつくっているのとおんなじだ。
学習プリントより引用
「もういい。見たくない。やめてくれ!!」…1名
96歩目
のび太くんに自分が反対の立場になったら…みたいなことを教えたから。
スペースが無くって、感想を紹介できなかった分
おわりに
この道徳「ドラえもん ぼくよりダメなやつがきた」の授業をしたのは11月でした。
そして2月に、掲示物の人物イラストの目へのイタズラが起こり、「配役いれかえビデオ」を思い出させました。
自分がされて嫌なことを、人にしない
と言うのが、よくある指導だと思います。
もちろん、そういう指導を反対するわけではないのですが…。
3ヶ月前にした道徳の授業、しかもそれがドラえもんの話。
道徳の授業は、日常に活かせてこそ!
ってもへちゃんは思うのです。
だから、ボスターへのイタズラがあったことを学級通信を使って問題化し、「配役いれかえビデオ」を思い出させたわけです。
しかし、学校現場の多くは、偉人の話を聞いて、先生が求めるような解答を数人が発表し、粛々と進む道徳の授業が見られます。
特別の教科 道徳
そんな道徳の授業の実態を打破すべく、文科省は今までの道徳を「特別の教科 道徳」に移行させました。
その移行では
- 生徒が多様な感じ方や考え方に接する中で,考えを深め,判断し,表現する力などを育むための言語活動
- 問題解決的な学習,道徳的行為に関する体験的な学習等
などが求められています。
血湧き肉躍る道徳の授業
もへちゃんは『学び合い』の考え方でとりくんでいた道徳の授業を
血湧き肉躍る道徳の授業
と勝手に名づけ、文科省の上記2点については、すでにとりくんでいました(^^)
以前は「Find!アクティブラーナー」で、もへちゃんが『学び合い』の考え方でとりくんでいる数学と道徳の授業を見ることができたのですが…。
現在は、ダイジェスト版(42秒)しか見ることができません(授業を見るにはプレミアムプランに入らねばなりません)
道徳を「教科」にしたことで…評価
しかしもへちゃんは、「道徳を教科」にしたことを危惧しています。
教科にしたということは、評価をしなければならないってことです。
「いい評価」かどうかを、授業している先生はどうやって決めるのでしょうか?
「先生の求める答え」を学習プリントに記入したり、発表したら…
どんな理屈をこねても、現場がこうなっていくことは、簡単に想像できます。
だって現場は、「道徳の授業だけがんばればいい」のではなく、教科学習、生活指導、部活動、行事、コロナ対策…と超多忙なのです。
そして、道徳の授業での評価をよくするために、中学生くらいになれば、自分の考えとは別の「答え」をプリントに書いたり、発表したりするでしょう。
「本音は違うけど、先生の求める答えを推理する勉強」に成り下がっちゃいます。
もへちゃんは「道徳とは、個人の生き方・価値観に深くかかわる問題だ」と思っています。
だから、評価すること(例え1 2 3 4 5という評価ではなく、文字で書く形の評価だとしても)には、疑問を感じています。
道徳を「授業」にしたことで…教材の自由度
「特別の教科 道徳」となって、教科書の教材を授業することを強く求められるようになりました。
もへちゃんの1989年の実践「ドラえもん 道徳『ぼくよりダメなやつがきた』」みたいな、目の前の子どもの現状に沿った教材で授業するのが、困難な時代になりつつあります。
「人権」にこだわりがある学校だとホッとする
それでも学校全体で「人権教育を学校の基盤とする」って年度当初に確認しあっている学校なんかだと、総合の時間や道徳の時間を使って「節目の人権学習」なんかを年間計画に入れているみたいなので、少しホッとします。
けれど、多くの学校は…
しかし、そんな確認がない学校だと、文科省→県教委→市教委と降りてきた指示に沿って、道徳の授業にとりくみます。
道徳の教科書を年間計画どおり、いかにすすめたかが大切になっていきます。
多くの学校の1つ、滋賀県大津市の中学校
2011年、滋賀県の大津市でおこった「いじめ自殺事件」
この事件が起こった中学校は「道徳教育実践研究事業」推進校に指定されていました。
だから、もへちゃんは、上から降りてきた「研究」で、子どもの考え方や価値観を揺さぶることは難しいと思っています。
現場の先生の、目の前の子どもに対する熱い思いがあれば、目の前の子どもの現状に沿った教材作りができるって思っています。
教材開発の自由度は、とても重要だと思っています。
だから「教材開発の自由」にブレーキをかける可能性がある「教科化」には、疑問を感じます。
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