2020/10/22
はじめに
「思春期へのメッセージ」シリーズも書き終え、
さぁ、今日は何を書こうかなぁ
と過去の通信を綴じたファイルをパラパラとめくっていると、合唱曲「モルダウ」について書いた通信を発見しました。
そう言えば、モルダウの歌詞解説はしてなかったなぁ
今年(2020年)は文化祭や合唱コンクール等の行事が中止だったり、中止にならなかったところもすでに終わっているだろうから、今更紹介してもなぁ…
とも思いましたが、
来年以降「モルダウ」にとりくむクラスのために、書いておこう
と思いなおしました。
では「2年3組学級記録 よき日のために No.15」(2016年10月6日発行)を紹介します。
モルダウ
「モルダウ」の合唱練習を見ていて、ちょっとした感動をおぼえる。
ソプラノ・アルト・テナー・バスが響き合うところなんか鳥肌ものだ。
といっても、全体にわたって鳥肌が立たないので、まだまだ努力すべきだ。
かつて
「モルダウ」はかつてのもへちゃん組の先輩たちが敗れ去った歌だ。
完成度が高ければすごい歌だけど、当時の僕は
男子が声変わりしている子が少ないから、中2にはこの歌は無理だ
と思っていた。
だから
モルダウを選ぶなんて、◯◯先生は選択ミスしたね
とさえ思っていた。
もちろん当時のもへちゃん組は勝つ気満々だった。
ところが相手のクラスが仕上げてきた。
この歌は、仕上げることができるとすごいメッセージ性と感動を聞く人たちに巻き起こせる。
当然「モルダウ」を歌ったクラスが金賞を獲り、当時のもへちゃん組は銀賞。
全ては僕の
もへちゃん
中2にはこの歌は無理
という思い込みが敗因だった。
時代を超えて
今、初めて「モルダウ」に出会った君たちとは違って、時代を超えて再びこの歌に巡り会った僕の中の「ライバル」は、あの時のもへちゃん組を破った歌声だ。
今のところ、「なつかしき河よモルダウよ~渦を巻く」まではどっこいどっこい。
それ以降は、昔、もへちゃん組を破った歌声の方が完成度は高い。
集中力、ハーモニー、音程、音量、力強さ…どれをとってもまだ足りない。
記録23
モルダウがあと少しで全部通せるようになるから、がんばりたいです。
記録24
10/5
今日は音楽で、モルダウを歌いました。
ソプラノは高くて、男子に負けてしまうので、もっと出していこうと思いました。
金賞目指して頑張ろう。10/7
今日のモルダウの練習で、◯◯◯さんのアルトパートの声がよく聞こえるので、私も頑張って声を高く、音程を合わせて頑張りたいと思います。
歌で「河の流れ」を表現しよう
1526年以降、オーストリアに支配されたチェコスロバキア(当時のボヘミア)は、ドイツ語が公用語とされ、 チェコ語は話すことすら禁じられていた。
民族の言葉を奪うことは、支配する側が使う手段の一つで、心を奪おうとする行為そのものだ。
ちなみに「モルダウ」 は、ドイツ風の呼び方であり、チェコ語では 「ヴルタヴァ」 という。
歌っていて感じると思うが、最初、ちょっと悲しい感じ・寂しい感じがするのは、作者のスメタナが、ふるさとのボヘミアを支配されていることを哀しんでいるからだ。
なつかしき河よ モルダウの
清き流れは わが心
そして独立と繁栄の日が来ることを願ってこの曲を作ったんだ。
歌い始めは、ちょろちょろと流れてまったり。
そして、段々と河が広がって、水の流れが速くなって、音が激しくなる。
流れにやさしく 陽はそそぎ
さざなみはいつも 歌うたい
岩にあたり しぶきあげて 渦を巻く
そう思ってると、歌の調子は落ちついてきて穏やかになり、人々が河でなごんでいる雰囲気をリズミカルに表している。
次に、河は急流になっていく。
音が静かなものから、だんだんと激しく、勢いを増して、波しぶきを上げて飛び散っていくイメージを歌い上げよう。
モルダウの河がどんなふうに流れていくのか、聞く人が想像できるような歌にしよう。
歌詞全文や合唱動画は「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」へ
おわりに
日本語教育と創氏改名
文中に
「民族の言葉を奪うことは、支配する側が使う手段の一つで、心を奪おうとする行為そのものだ。」
とありますが、かつて日本も朝鮮(現在の韓国、北朝鮮)に対して、同様の政策をとりました。
Wikipediaによると
朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用された。
(中略)
日中戦争以降、総督府は日本軍の兵士として朝鮮人を動員することなども視野に入れ、朝鮮人の”皇民化”を進めた。
日本統治時代の朝鮮 Wikipediaより引用
とあります。
また、名前を奪い、日本風の名前に変えさせました。
「創氏改名」です。
支配者側が使う手段の1つで、心を奪おうとする行為です。
方言札
沖縄戦をテーマにした反戦平和の寸劇+朗読劇「島唄」では、こんな台詞があります。
明治以降、日本が富国強兵に向かった時、沖縄県民はついていきかねました。
それで『日本人としてはおかしいよ』と沖縄の人に対して差別が始まったのです。
昭和に入ると一人前の日本人として認められたいため、沖縄の先生、行政職員が方言をなくす運動を推し進めました。
方言を使うと、罰として首から「方言札」を下げさせられました。
(方言札の画像等は「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にあります)
(中略)
学校では、日本本土同様「お国のために死ぬことは名誉なことだ」と教え込まれました。
その結果、太平洋戦争では沖縄の子どもたちは文字通り、死ぬまで働きました。
子どもたちに反戦平和をどう伝える?② 朗読劇「島唄」シナリオより引用
これも言葉を奪い、心を奪った末の惨劇です。
「加害」の立場での反戦平和教育も必要だ
ともへちゃんは思っています。
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