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あ~夏休み、ちょいと終わらないで④「この夏どう高まったか」

2021/08/19

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

 夏休み直後の通信を紹介するシリーズ「あ~夏休み、ちょいと終わらないで」の第1回目で、かなり年上の先輩からの

 この夏休み、人間としてどう高まったか?

 仲間と学んだり、飲んで語ったり…

 大学出たばかりの飲み会のレベルでなく…

という言葉を紹介しました。

 今回紹介する「学級記録 No.42」(2006年9月6日発行)は、2006年の夏、もへちゃんがどんなことを学んだかについて書いた通信です。

行ってしまった夏休み

記録63

 こんちわぁ、班ノートを書かせてもらいます!!

 あーあ、夏休み終わっちゃったね…。

 つまらんっっ↓↓ 

 あと①ヶ月は休みがほしぃ~。

 みんなは、夏休みはどこかに行ったりした?

 ウチは鳥取県に行ったよ!!

 つまらんかったけど…。

 つか、今年は部活が多くてあんまり遊べんかった(涙) かなし~

(中略)

 それにしても夏休みの宿題多かったね↓↓

 まじ、ありえんかった!!

 地獄、英語がつらかったなぁ…30ページが異常に長く感じたし。

 

 話は変わって、②学期はスタートしたね!!

 早いね。

 2学期は、ついに修学旅行やねぇ☆

 みんなで楽しく思い出に残るような旅行にしようねっ。

 あぁーはやく行きたい!!!

 白熊食べたい!!!

 

 話は変わって、合唱コンクールも2の4が優勝しようね!!!

 ☆青葉の歌☆難しそうやけど頑張ろうね!!!

 合唱祭行きたいしね。

 うち、ソプラノやけど、あんまり高い音はたまに音をはずしてしまうけん、心配っちゃんねぇ~。

 

 てか、9月にもう中間テストあるやん!!!

 まじ早いよねぇ。

 無理です…みたいな。

 

 それでは、今回はこの辺で終わりたいと思いマス*

 みなさん②学期もどうぞよろしくお願いします!!!

この夏、どう高まったか?

 僕はこの夏、かなり積極的にいろんなことに取り組んだ。

7月27日

 暑い暑い太陽に焦がされながら、大勢の子どもたちとともにJR南福岡駅から筑紫野市役所まで、非核・平和行進をした。

 一昨年まで勤めていたところの子どもたちも参加してて、久しぶりに「もへちゃん先生」「◯◯ちゃん先生」と呼ばれて懐かしかった。

8月6日

 61年前、広島に原爆が落とされた日だ。

 前に勤めていた中学校は、毎年8月6日は出校日で、僕は子どもたちと平和劇に取り組んできた。

もへちゃん
もへちゃん

 今は6日に学校で何もないけど、この日は反戦平和の節目の日だととらえているので、何もしないなんて…。

 そう考えて、今年は7月初めくらいから「8.6平和のつどい実行委員会」に参加してた。

 8月6日、この日はいよいよ本番の日!

オープニングはバレエ
平和劇「TEENS FOR PEACE」には、長崎の核兵器廃絶一万人署名にとりくんでいる高校生も登場

 太宰府市中央公民館で約300人が集まって、反戦平和のことに思いを馳せた。

8月9日

 長崎で行われた原水禁世界大会に行ってきた。

 8.6平和のつどいで活躍した子ども会議の子たちともに、反核・反戦の思いを新たにしてきた。

長崎県立総合体育館メインアリーナにて
61年前のあの日、被爆者が歩いたであろう道を行進した

8月23日

 九州 人権・同和教育夏期講座が、熊本の八代やつしろで行われた。

 「今、海がすき、水俣がすき~私の思いと願いをあなたへ、そして、子どもたちへ~」と題した講演で、水俣病資料館の語り部をされている杉本栄子さんと、胎児性患者として活動されている坂本しのぶさんの話を聞くことができた。

 杉本さんのお母さんは、1959年に水俣病で入院し、以来15年間 村の中でいじめられ孤立させられたそうでだ。

 以下、杉本さんの講演の一部だ。

 チッソが来たから公害が起きた。

 これは事実。

 でも、チッソは直接いじめに来たりはしない。

 母が発病して病院に父がつれて行って、父は3日間帰ってこれなかった。

 「村を出て行け」と言われ、雨戸に石を投げつけられた。

 それは3日間でなくずっと続いた。

 米も売ってもらえなかった。

 崖から突き落とされたこともある。

 「村じゅうが鬼になったなぁ」と父に言うと「昔はよか人じゃったんぞ」と答えた。

 代々網元をしていたが、網子たちは修理するのに何日もかかる網の大事なところをずたずにして去っていった。

 いじめに来たのは親戚・知人だった。

 チッソは弱いものどうしをいじめさせたのだ。

 水俣病と名が付く前、多くの村で最初に発病したものは同じような目にあった。

 水俣病第一次訴訟に勝利したとき、村の人がおわびに来た。

 けれど本人ではなく家族がやってきた。

 いじめた本人は水俣病で、病院にも行かずに死んでいた。

 村には空き家がいっぱいになっていた。

 彼らを許すことはできる。

 けれど船には乗せないと、今でも思っている。

 現在もチッソの切り崩しによって、患者団体は市内だけでも17もある。

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

知る・感じる・行動する

 「反戦平和」と「人権」は、先生時代、特にこだわってました。

 このどちらとも「知る・感じる・行動する」が重要なキーワードだともへちゃんは思っています。

 本を読んで勉強する…すなわち「知る」のも大切です。

 けれど知識だけでは、差別を利用する側になっていく可能性もあります。

 知識だけだから、

 憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。

 だれも気づかないで変わった。

 あの手口学んだらどうかね。

なんて、ナチス・ドイツを肯定してしまう政治家がいたりします。

  • 被差別の側の耐えがたい思い
  • 愛する人が差別で命を絶ち、残された人の思い
  • 戦争で愛する家族を失った人たちのやりきれない思い
  • 爆弾で建物の下敷きになった人を見捨てた後悔を、数十年持ち続けている人の思い

 これらを「感じる」ためには、本を読むだけでなく、当人から聞いたり、その地に赴き思いを馳せたり、講演してくださった方に質問したり…

 子どもたちを教える「先生」も、我が子を育てる「保護者」も、知って感じてほしいと思います。

 そして子どもとともにその先にある「行動」に移せるといいなぁって思います(^^)

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