021/12/23
はじめに
前回のブログで紹介した学級通信「中央フリーウェイNo.84」では、子どもたちのやる気を後押しするために、ある子が班ノートに書いた記録(記録305)を紹介しました。
その後もへちゃん組では、子どもたちが「やる気」について、連絡帳や班ノートに思いを書き始めました。
子どもたちどうしで世論が形成されていったわけです。
ところで、記録305には
第81号のフリーウェイを見て思いました。
このままではいけない。
という1文がありました。
そこで今回は、「(勉強に対しての)やる気」という世論のきっかけとなった学級通信「中央フリーウェイ81号」(1987年12月8日発行)を紹介します。
ただ不思議なことに、この「中央フリーウェイNo.81」は、学習ネタではないのです。
どんな内容かと言うと…
まっ、お読み下さいm(_ _)m
1941.12.8 それは狂気の動き出した日
12月8日
今日は12月8日 。
何の日か知ってるだろうか?
それは、君たちが以前学んだこの詩に関係ある。
胎児に
吉野弘
戦争の胎児よ
臨月は近いのか?
なんとしても生まれ出たいのか?
生まれ出て、平和を食べ尽くしたいのか?
お前を認知する父母は、いないけれど
名乗り出ないだけで
父母は、いる
自分の気に入らないものを抹殺する狂気
それが父
利己主義と気付かない利己主義
それが母
この父母たちは私たちすべての人間の中にいて
つまりは、私たち自身が
戦争の生みの親であるのに
そのことを認める人は少ない
戦争よ、お前は不幸な子だ
お前を生んだ父母は名乗り出ることなく
父母その人からも
あとあとまで永く呪われるのだ
戦争よ、戦争よ
お前を生み出さぬよう
私たちは
内なる狂気と利己主義を
怖れることができればいいのだが…
お前を生み出そうとする人のほうが
お前を生み出すまいとする人より
これまで、いつの時代にも精力的で
結局、お前は生まれ出て
平和を食べ尽くしたね
今度も、同じか?
1941年、東条内閣は、アメリカと交渉しながら、裏では戦争の準備を整えており、アメリカから「中国にいる日本軍の撤退と、三国同盟をやめる」ように要求されたのを機会に、開戦に踏み切った。
12月8日とは、真珠湾攻撃の日なのだ。
この日を境に、君たちが今まで学んできた、
- ヒロシマ・ナガサキの原爆
- 沖縄での対馬丸
- 生徒会が演じた劇
のような狂気の時代へと移り変わっていったのだ。
「胎児に」という詩、もう一度、よ~く読んでごらん。
表面的な文章の理解より、この詩の訴えたいことを感じ取ってほしい。
そのためにも、一言一言かみしめて読んでほしい。
自分の気に入らないものを抹殺する狂気
- 自分の気に入らないものに対して暴力を振るうもの
- いじめという行為を平気で行うもの
- それを見て見ぬふりしてるもの
これらは「狂気」そのものではないか!
利己主義と気付かない利己主義
- 人を油断させ、人が失敗した隙に自分だけ志望校に入ろうとするもの
- 人が苦しんでいても、自分だけよければいいという差別意識
これらが、「利己主義と気付かない利己主義」ではないだろうか!
戦争への警笛
君らがそうでないことは、僕も知っている。
が、現在の社会の様子は、まさに狂気と利己主義が渦まいているではないか!
今の君らが、明日の社会を創っていくのだ。
戦争を生み出すのも、防ぐのも、他人の責任ではないのだ。
その時代に生きてる人々(もしかしたら僕や君らが生きてる間かもしれない)すべての責任なのだ。
僕は、こんなふうに、忘れかけている「戦争の開始日」を君らに知らせることにより、戦争への警笛を鳴らす。
いいクラスにしよう→
3の5の目標は(2年の最初に言ったが)「いいクラスにしよう」だった。
日本だけでなく、世界全体が、形なんかにとらわれず「いい世界にしよう」と真から動き始められるといいな。
君らが大人になった時、イヤ、今からでも、2度と悲惨な戦争を起こさないためにも、まわりの人間に、平和な世界のために必要なこと…『人を思いやる心』を訴えてほしい。
そう、友人に、親に、そして弟に妹に。
頭の固い大人にも!
君らの時代は君らが創る!
伝えていけ、風化させるナ
おわりに
読んでもらうとわかると思いますが、この通信は「やる気を出そう」というメッセージで書いた通信ではありません。
もへちゃんの通信の柱の1つ「反戦平和」についての記事でした。
もへちゃん自身もこの通信から、「やる気」につながり、それでクラス全体の世論ができていくとは思いもしませんでした。
反戦平和の節目の日
反戦平和の節目の日はいくつかあります。
- 6月19日 福岡大空襲
- 6月23日 沖縄戦終結
- 8月6日 ヒロシマ原爆
- 8月9日 ナガサキ原爆
- 8月10日 筑紫駅銃撃事件
- 8月15日 敗戦の日
- 10月21日 世界反戦デー
- 12月8日 真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)
福岡大空襲や筑紫駅銃撃事件は、もへちゃんが住んでる地域での「節目の日」です。
8月15日はお盆でもあり、通信で知らせたり、学校行事としては扱えません。
また、もへちゃんが勤務していた地域では、以前は普通にとりくんでいた夏休み中の8月6日の出校日(反戦平和学習)が潰されていきました。
「狂気」が、あふれ出しつつあるような気がします。
超多忙の日々のため、平和学習にとりくむ学校は減りつつあります。
事実、もへちゃんが勤務していた地区の中学校で、8.6反戦平和学習にとりくんでいる中学校は、退職前は2校だけでした。
自分を鮮明にした生き方
さて、この通信内で
君らが大人になったとき、イヤ、今からでも、2度と悲惨な戦争を起こさないためにも、まわりの人間に、平和な世界のために必要なこと…『人を思いやる心』を訴えてほしい。
と書きました。
子どもたちだけに「反戦平和のために動きだそう」と求めて、自分は何もしないというのは、いただけません。
もへちゃんは、その後の勤務する学校のほぼ全てで、平和学習や平和集会、平和劇等の提案を積極的に提案し、とりくみました。
勤務していた地区の中学校で、8.6反戦平和学習をしている2校というのは、もへちゃんが平和劇を立ち上げたり、復活させたりした中学校です。
さて、この通信を書いた1987年は、もへちゃんが先生になって3年目。
そしてこの年のもへちゃん組の子たちは、もへちゃんにとって初めての卒業生たちでした。
最初の教え子たちに求めたことを、自分自身もやり通したかな~(^^)
自分で自分を褒めてもいいかな~(^_^)v
このように、この日の通信は思いっきり「反戦平和」のメッセージだったのですが、ある子にとっては、自らのやる気をかき立てる通信になったわけです。
う~ん…何故だろう?
先生を長く勤めた今でも不思議です。
でも、反戦平和のメッセージも書けた上に、勉強のやる気もかき立てられたのだから、もうけもんですね(^^)
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