2021/04/28
はじめに
もへちゃんが住んでる地域の小中学校は、体育会(運動会のこと)に向けてのとりくみが始まるころです。
小中学校の体育会は春ですが、高校は秋です。
もへちゃんが子どもの頃は…やっぱり秋だったように思います。
あなたの地域では、体育会はいつごろですか?
今回は、体育会のとりくみの第1歩目にあたる学級通信「3年3組学級記録 No.9(2017年5月1日発行)」を紹介します。
班ノートから
新しい班編制が整い、班ノートもスタートした。
班ノートは、何も意識しなければ、ただのお絵かきノート、芸能人とかゲームの話を交換するノートにしかならない。
が、
- わかりあうため
- つながりあうために「思い」を書くノート
と位置づけ、
- なかなか言えないけど本当は一番知って欲しいことを書けるようになる
と「宝のノート」になるんだ。
もへちゃん組の先輩たちが書いてきた班ノートの中の4~5冊は「宝のノート」として、僕は大事に持っている。
記録5(〇〇〇くん)
5月21日に体育祭があります。
今年で僕たちは中学校最後の体育祭です。
今までで最高の体育祭にしたいなと思います。
緑ブロックの団長の〇〇くんも、声がガラガラになるまで頑張っているのだから、僕も頑張って支えていきたいなと思います。
体育祭が終わった後、すぐに中間テストがあります。
しっかりと今からでも勉強して、目標の400点以上をとれるように頑張っていきたいと思います。
班ノートから引用
記録5は、1班の初日の班ノートの記録の一部だ。
この記録に対し、僕はつぎのような赤ペンの返事を書いた。
「今までで最高の体育祭にしたい」
言葉にするのは簡単だが、それを本当にやってのけるとなるとかなり難しい。
まずは3年3組の34人が、本気で「勝ちたい!」と思って行動できるかどうかだ。
そして、その熱意をどれだけ1、2年生に伝えられるかも重要なポイントだ。
例えば、ブロック応援の練習の時に、ブロックリーダーが1、2年生に教えている途中で、どうしてもお手本を見せる必要に迫られたとする。
その時
ねぇ3年、お手本見せてやって!
とリーダーが君たちにふり、君らが少しの乱れもなく、しかも気合いも入っててかっこよく決められたら、1、2年生は
先輩すげぇ
と思うだろうし、同時に君ら3年生の本気さが伝わるんだ。
しかしこれは飽くまでも「少しの乱れもなく、しかも気合いも入って、かっこよく決められた」場合の話だ。
ゴールデンウィークがあける5月8日(月)は、体育祭13日前。
その日から、毎日毎日がとても重要になる。
おわりに
体育「祭」と体育「会」
この通信を出した2017年に勤めていた学校では運動会のことを「体育祭」と言ってました。
しかし、その学校以外のほとんどの中学校は「体育会」です。
ちがいがわかりますか?
「体育会」を使う学校では、
授業の成果を披露する場だから
とか
授業の一環だから
という理由で、「祭」という字を入れたがりません。
体育会実行委員会という子どもたちの組織は作りますが、どちらかというと先生から言われたことを、生徒全員に伝えるための組織です。
だから、先生たちがまるで軍隊のような応援団を求めたりしたら、素直な子どもたちはそんな応援団を作ってしまいます。
いたたまれない
もへちゃん、そんなわけないじゃん
と思われるかもしれません。
しかし、もへちゃんは体育会の応援リーダーの指導で、その場にいるのがいたたまれなくなるような学校に勤務したこともあります。
ふだんは理知的で、怒ったところなんて見たことない先生が、怖い顔して
そんな声で、ブロックがまとまるって思っとるんか~!
もう1回!!
と怒鳴る…それが1人ではなく、何人も…
その学校の先生方が、特別、厳しい方だったというわけではありません。
若い先生が多い学校ではありました。
そんな指導法しか知らない先生と、先生になったばかりでそのやり方が「正しい」と思う若い先生…
その積み重ねが、その年、異動してきたもへちゃんにとって
いたたまれない(>_<)
と感じさせるような指導がまかり通っていたというわけです。
そんな指導法ばかりじゃないんだけどなぁ…(T_T)
子どもたちに考えさせるための手立てと時間を保障し、指導する先生が「誰も見捨てなかったか」を問い続ける…
そんな『学び合い』の考え方で、体育会のリーダーを指導するすてきな先生と一緒だったこともあります。
体育「祭」だった学校
今さて、回紹介した2017年に勤めていた学校では体育「祭」でした。
では、この学校では生徒の自治が保証されていたかというと…
残念ながら、ほとんど体育「会」の学校と変わりありませんでした。
ではなぜ、この学校が「祭」という字を使っていたかというと…
地域の方や保護者が学校の運動会や体育祭をすごく楽しみにしていて、たくさんの方々が当日、学校にやってくるからです。
形ばっかりの「コミュニティ・スクール」が多い中で、実質的なコミュニティ・スクールだったから、学校も体育「会」にできなかったわけです。
例えば、もへちゃんの住む地域では、体育会の日のお昼ごはんを保護者と食べない子が、クラスの1割以上、多い学校では半数近くいたりします。
2017年に勤めていた学校ではほとんどいません(学校全体で1~2人だけ)でした。
ねっ、地域のつながりが強いでしょ(^^)
これぞまさしくコミュニティ・スクール!
でも本当は、子どもの自治的能力を高めるためのとりくみにこだわって体育「祭」であってほしいんだけどなぁ。
働き方改革
さて、新型コロナウイルス感染症が流行る前の日本では「働き方改革」が叫ばれていました。
当時、日本全国の中学教員の6割近くが、過労死ラインである週20時間以上、残業してました。
もへちゃんも7時前に学校に着いていたし、20時、21時頃に帰宅する際、まだ仕事をしてた同僚が何人もいました。
しかし、一方では「働き方改革」を唱えながら、もう一方では「コミュニティ・スクール」を唱える…
結果として、学校の仕事だけで過労死ラインだった先生方に、さらなる仕事を増やしてしまいました。
ただ、もへちゃんは、体育祭に関してだけは、コミュニティ・スクールも捨てたもんじゃないなぁと感じました(^^)
まぁ、新型コロナウイルス感染症のせいで、先生方は「コロナ対策」という新たな仕事が増え、「働き方改革」は棚上げって感じですが…
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