2022/11/29
はじめに

もへちゃんは先生時代、生徒会指導に長く関わりました。
「荒れ」て、先生方も元気をなくしてしまっていた学校でも、生徒会活動を通して子どもたちのセルフイメージを高めようと、生徒会役員の子たちとともに様々なことにとりくみました。
この時の学校には10年勤務しましたが、年を追うごとに子どもたちは落ち着きを取り戻し、自らの学校を誇りに思うようになっていきました。
今回紹介する通信は、この時の学校改革9年目の生徒会改選前に中1生に発行した学級通信「学級記録 No.40」(1999年11月26日発行)です。
生徒会
期末が終わった!
後悔しないよう頑張れたろうか?
「自分か作った目標」「学級で作った目標」、クリアーしたいね。
生徒会役員選挙
さて、期末が終わると生徒会選挙がやって来る。
1年でも2年でも 立候補できるポスト | 1年しか立候補 できないポスト | 2年しか立候補 できないポスト |
会長(1名) | 1年副会長(1名) | 2年副会長(1名) |
書記(1名) | 1年 生活委員長(1名) | 2年 生活委員長(1名) |
会計(1名) | 1年 部活動委員長(1名) | 2年 部活動委員長(1名) |
9人の生徒会執行部を選出することになる。
1993年からの生徒会改革
生徒会執行部が行ってきた活動を一言でで表すとすると

誰もが「学校は好き」と言えるような学校づくり
になる。
今から6年前、目の前でいじめがあっているのを止められなかった子が、執行部の1人として選ばれた。
そして

いじめられてたら、「学校を好き」って思うわけ無い。
それを、見て見ぬふりしてる私たちも「学校を好き」って、心から思えない。
と執行部会で意見を出した。
長い長い話し合いの末、彼ら彼女らが出した結論は
でも、「学校は好き」と言えるようになりたい
だった。
そして、それを叶えるため、生徒会活動をし始めたんだ。
- ある年は「キーワードは『感動』」と言いながら、様々な活動を生み出した
- 平和劇を始めたのもこの年だった
- 人権クラブもこの年にできた
- ある年は、それまで「学級対抗制」だった体育祭を、「紅白ブロック制」にした
- 「学校全体で体育祭を盛り上げたい」と考えたからだ
- しかし、「学級対抗制」にしたのも、それより数年前の生徒会執行部だった
- 「力の支配」「いじめ」「裏校則」…などで、「体育祭をしたくない」という考えが半数近くになった年があり、「まず学級で団結しよう」「上下関係を断ち切ろう」と考えた末の選択だった
- ある年は、1月にある「ほうげんぎょう(どんど焼き)・部活動対抗駅伝」が10周年だったので、PTAの役員の方たちとともに「全校カラオケ大会(豪華賞品付き)」をしたこともあった


そんな生徒会の活動を学んでみないか?
次期の生徒会の主役は、なんと言っても2年生だ。
2年生がつくる生徒会活動に学びながら、来年の冬以降、学校全体に感動を呼び起こせる学年になるため、1年生も執行部に位置付いて欲しい。
保護者の方へ
11/25号の「見ましたカード」ありがとうございます。
全部の紹介は難しいので、ぼちぼち紹介させてもらいます。
「学年だより」「学級記録」とも、手書きになっているので、書いた人の暖か味が伝わってきます。
いいなぁと以前から思ってました。
大変だと思いますが、これからも宜しくお願いします。

ありがとうございます。
がんばります。
S先生(学年だより担当)にも伝えておきます。
おわりに

「生徒会活動の活性化」や「質の高い平和集会」等で、子どもたちのセルフイメージを高めていくという手法で、もへちゃんは学校改革を子どもたちとともにとりくみました。
残念ながら、このとりくみは2~3年で成果は出ません。
少なくとも5年、時には8年かかったこともあります。
しかし子どもたちのセルフイメージが高まると、「その姿に憧れる後輩たちがさらに先輩たちを超えようとする」…そんな好循環が生まれました。
ちなみに、もへちゃんが勤務してた地域には、強引な手法で学校改革にとりくむ管理職の先生(例えば、「やんちゃをする子を登校させない」とか)もいらっしゃいました。
しかし管理職の先生は3~4年しか、その学校にはいらっしゃいません。
強引なとりくみは、その管理職がいなくなると反動を生み、その学校はまた「荒れ」ます。
なので、もへちゃんは「子どものセルフイメージを高めること」こそ、学校の求めるべき姿だと、今でも思っています。
そして、それは子どもたちとともにやることでしか、とりくめないのです。
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