2020/08/13
はじめに

今回は、前回に引き続き、日航機墜落事故の河口博次さんのメモの授業のことを書きます。
前回は1992年、今回紹介するのは1996年、ともに中3生に向けてこの授業をしました。
4年経ってもへちゃんの授業は、かなりパワーアップしました。
さて、どう変わったのか?!
ではそれがわかる「学級記録 No.25」(1996年6月27日発行)を紹介します。
マリエ 津慶(つよし) 知代子
昨日の道徳で、1985年に起きた日航機墜落事故の乗客の1人である河口博次さんの手帳のメモを読んだ。
震える手にペンを持ち、まもなくやってくるであろう「死」をひしひしと感じながら、この父さんがとった行動に、僕は胸がいっぱいになった。
映画でもない
小説でもない
すべてが事実なのだ。
もし、僕がその飛行機に乗っていたとしたらどうしただろう?

こんなことあるわけない。
夢なら早く覚めろ!

僕がどんな悪いことをしたと言うんだ。
なぜこんな仕打ちを受けなければならないんだ

本当に死ぬのか?
いやだ
いやだ
いやだー
そして、やっぱり家族のことを考えると思う。
ふだん、わが子から

怒りんぼ父さん
とか言われてるけど、僕も家族の1人ひとりのことをかんがえると思う。
いろんなことが頭を浮かぶだろう。
そして1番最初のページには…

わからない…
もしそうなったら、僕はどんな言葉を書くのだろうか
この授業のために、家庭訪問で…
家庭訪問で、保護者の一言を録音して回った。
どこのお家でも真剣に考えてくれた。
- 何を言おうかと、家庭訪問の時間を超えてまで悩んだ親
- 最後の方が涙声になった親
- いろんなことが頭に浮かんだのか、途中で言葉が途切れた親
「親」ということを、僕は今回の家庭訪問で学ばせてもらった。

いつも怒ってばっかりで…
心の中では思っていても、言葉に出すことはないですねぇ
という方が多かった。
けれども、みんな答えてくれた。
わが子に語りかけるようにして。
もし君だったら
君は、自分へのメッセージを聞いてどう思ったろうか。
そして、君がもしメッセージを残すとしたら、どんな一言になるのだろうか。
河口さんの手帳の1ページ目
僕は、河口さんの手帳の1ページ目の

マリエ 津慶 知代子
どうか仲よく がんばって
ママを助けて下さい
河口博次さんの手帳より引用
たったこれだけの、ありふれた言葉の中に、ビッシリと詰まった思いを、すごく感じる。
忘れられない言葉だ。
おわりに

1992年の授業と違うところは、事前に保護者からの一言を録音して、授業後半に子どもたちに聞かせたという点です。
家庭訪問で、保護者に、河口さんの手帳を使っての授業のことを説明したあとに
- 子どもの名前は呼ばないでください
- お説教にはならないようにしてください
というお願いをしました。
保護者は、わが子が病気になった時のこと、事故にあった日のこと、小さい頃から仕事で忙しくて構ってあげられなかったこと…をメッセージに入れてくれました。
中には「恥ずかしいから、向こうの部屋で録音してきていい?」と言われた方もいらっしゃいました。
授業後半
授業の後半で
「おうちの方から君にメッセージをもらってます。でも、名前を呼ばないでってお願いしたから、誰のことを言ってるかはわかりません。さぁ君は、お家の方のメッセージに気づけるかな?」
と言った後、録音してきたメッセージを聞かせました。
子どもたちは全員、保護者の声を聞き取ることができたか?
子どもたちは、全員、自分へのメッセージを受け取ることができました。
14~15年毎日聞いている声です。
聞き間違えようがないのです。
そして親子ともども、普段は言わない・聞けない「心の中に秘めた思い」を確認し合えました。
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