2021/08/12
はじめに
もへちゃんは「8月12日」を節目の日だと思っています。
昨年の今日(2020年8月12日)もブログで、
「節目の日…『日航機墜落事故』から学ぶ『親の愛』」
という記事を書きました。
そうです。
今(2021年)から36年前の1985年8月12日、日航ジャンボ機の墜落事故があったのです。
事故の詳細は、昨年のブログで書きましたので、そちらをチェックしてみてください。
さて、1985年、もへちゃんは先生1年目でした。
先生1年目は学級通信を8号しか発行できず、さらに1年目の通信の原稿は残っていないため、この年の通信で「日航機墜落事故」のことを書いたかどうかは不明です。
そこで今回は、中2生の担任の年の学級通信「学級記録 No.43~44」(2006年9月12日、9月15日発行)を紹介します。
マリコ、津慶、知代子(学級記録No.43)
これが何かわかるだろうか?
遺書(学級記録No.44)
道徳の時間に、2つの遺書について学習した。
記録63
河口博次さんの遺書を見て、最初は
これは何?
とか思ったりしたけど、少し自力で読んでみると
- 「どうか神様たすけて下さい」
- 「よろしくたのむ」
とかが書いてあったので、
この人はもう亡くなってしまったのだろうか…?
と思いました。
それでその後に
- 遺書だということ
- もうすぐ自分は死んでしまう時に書いたということ
がわかりました。
飛行機がゆれて、まわりながら急降下している時に書いたから、こんな字になったということもわかって、すごく怖そうだと思いました。
私だったらこんなことを書くこともできなかったかもしれないけど、
この人は最後までやっぱり家族のことを思っていたんだ
と思いました。
それから、特攻隊の人の遺書も
- 「さらば」
- 「ありがとうございました」
とか悲しい感じがしました。
出撃の前夜に仲間と握手するところも、
この人たちは死んでしまったのか…
と思います。
すごく悲しいです。
本当に戦争はいけないなと思いました。
記録66
最初に学級記録の字を読んだとき
下手な字!
と笑いました。
けれど、手紙の内容と、字がここまで歪む意味を知ったときは、最初とは真逆になりました。
飛行機が墜落していく中で、家族に遺書を書くなんて、よほどの冷静さと精神力がないと書けないと思いました。
僕は常に
体験しないと、どれだけの意見や感想を言っても、何の説得力もない
と考えるけど、この人を含め飛行機に乗っていた乗客は、墜落するまでの時間、相当の恐怖があったと思います。
悲惨です。
もう1つ、裏には特攻隊員の写真がありました。
この写真だけ見ると、まるで何もないようなみんな平和そうな笑顔をしているけど、出撃前やだと知って、笑顔の裏の心は相当な恐怖が襲っていたと思います。
「死ななければならない」特攻隊なんて、考え出した人が死んだ方がいいと思います。
結論から言うと、政治家が悪いと思います。
記録67
戦争
- 命を無差別にうばっていく。
戦争
- 憎しみを生む
戦争
- 勝ち負けもなければ、スポーツのようにルールもない。もしも勝敗をつけようとするなら、相手国の全ての人間を殺せばいいのか?相手の国を跡形無く滅ぼすのか?
戦争により、たくさんの命が失われた。
同時に悲しみをよんだ。
戦争から61年経った今でもなお悲しみが残る。
他の国で、今でもやってる国もある。
その国には何が生まれる?
…悲しみだ。
記録68
もうすぐ自分は死ぬという状況で、揺れる飛行機の中で遺書を書くのは…。
私なら
まだ死にたくない。
という気持ちで、絶対に書けないと思います。
だけど河口さんは、自分のメッセージを残すために書いて、すごいなと思いました。
死ぬのがわかっている中、遺書を書いている姿を想像するとすごく悲しくなります。
特攻隊は死ぬのがわかっていて、命を犠牲にする攻撃なので、絶対してはいけないと思います。
犠牲になった人々のおかげで今の日本があることはわかるけど、やっぱり「戦争」という方向に走ってしまったことが、たくさんの人の命を奪ってしまったんだと思います。
戦争は絶対に反対です。
もう2度とやりたくないです。
たとえ戦争に勝ったとしても、それまでの間にたくさんの人が死んでしまっているので、うれしくもなんともありません。
いつまでも、どこの国もが仲よく、平和な世界になってほしいなと改めて思いました。
知覧特攻平和会館では、
「安らかにお眠りください」
と祈ると同時に
「2度と繰り返しません」
と誓ってこよう。
おわりに
学級記録No.43の裏面
学級記録No.43の裏面には、特攻隊の写真や遺書を印刷していたようですが…
もへちゃんが保管している学級通信のファイルには、その原稿を綴じてませんでした。
思い出そうとしましたが…
もへちゃんの蔵書の1つ「知覧特別攻撃隊(村永薫編 ジャプラン刊)」の表紙のこの写真は使ったと思いますが…。
残りは思い出せませんでしたm(_ _)m
愛する人への思い
2006年に勤務した学校では、中2の秋に、南九州へ修学旅行に行ってました。
訪問先の1つが、鹿児島の知覧特攻平和会館でした。
だから修学旅行直前に「特攻隊」について伝えたかったわけです。
特攻隊員が残した多くの手紙や写真には、雄々しく旅立っていくことが書かれていますが、それだけを学ぶのはちょっと危険な気がします。
一方、日航機墜落事故の犠牲者の1人、河口博次さんの手帳に書かれたメモには、間もなく死ぬであろう父からの、残していく家族に対する思いがあふれています。
もへちゃんは、
特攻隊の方々も検閲がなければ、残していく家族へあふれる思いを書かれただろうに…(T_T)
と思っています。
「お国のため」と言いつつも、自分の周りの愛する人との別れが平気だったなんて思えません。
逆に
「自分の周りの愛する人を、戦争で苦しませないため」と自分に言い聞かせたんだろうなぁ(T_T)
と思っています。
愛国心
もへちゃんは「自分の周りの愛する人の幸せを考える」ことは、とても大切なことだと思ってています。
しかし戦時中の政府は、その思いを拡大させて「お国のため」と論理のすり替えをしたのです。
恐ろしいことに、現在、学校でとりくまれている「特別の教科 道徳」の「愛国心」について、先生たちが参考にしたであろう文書にも、同様の論理の拡大解釈があります。
内容項目(8)の「地域社会」「郷土」を一まわり広げたとき,この項目の「国家」や「国」になる。そして前項の「地域社会に尽くした先人や高齢者に尊敬と感謝の念を深め」る心を,国家という広がりで考えれば,「国を愛し」「国家の発展に努め」「優れた伝統の継承」に努める心につながっていく。
「中学校・道徳の内容項目の解説」より引用
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