2021/07/27
はじめに

夏は怪談…なのはなぜ?
なぜ夏は「怪談話」のシーズンなのでしょう?
「夏 怪談 なぜ」で検索してみたら「夏の怪談のルーツはお盆の芝居」というページに行き当たりました。
要約すると
昔は娯楽が少なく、芝居が大変な人気だった。
日本ではお盆になると死んだ人の霊が帰ってくるとされているので、お盆の時期に行われる芝居は「盆芝居」「盆狂言」などと呼ばれ、鎮魂の意を込め、浮かばれぬ霊の無念や苦しみを語るようになった。
All About 20th 暮らし「怪談・怖い話は、なせ夏の風物詩なの?」より引用

なるほど~
お芝居という「フィクション」が、いつの間にか定着しちゃったってわけか(^^;)
※フィクション……想像によって架空の筋や事柄をつくること、仮構、虚構
霊も神も信じないもへちゃんなのに…
もへちゃんは、学校の先生だった頃、反差別の教育を大切にしてきました。
教育で差別の悪循環を断ち切るために重要なことの1つに「科学的認識を深める」ってことがあります。
なので…かどうかはわかりませんが、もへちゃんは霊も神も信じていません。
そんなもへちゃんですが、平和劇のシナリオの中に霊を登場させたり、通信にゲゲゲの鬼太郎を登場させたりします。
なぜでしょう?

それは、今回のブログの「おわりに」で語ることにいたします(^^)
まずは、ゲゲゲの鬼太郎を登場させた通信「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.127」(2018年12月10日発行)を紹介します。
ゲゲゲの鬼太郎
夏休み中、テレビのゲゲゲの鬼太郎で「妖花の記憶」というのがあってました。
内容は、「太平洋戦争について」
原作者の水木しげるさんは、ラバウルの激戦地に送られ、左腕を失い、生死の境を彷徨うほどの経験をし、仲間も多く失った方です。

※ラバウル…パプアニューギニアの東ニューブリテン州の都市の名前
2018年版「妖花」
私が見た「妖花の記憶」は現代風にアレンジされていて、とても見やすいアニメだったのですが…

簡単にあらすじを紹介します。
入院中の淑子を見舞いにきたまなに、淑子は、家に花が咲いているか見てほしいと頼みます。
淑子は、まなのお母さんのおばさんにあたる人で90歳。
淑子の家には、毎年お盆の時期になると、家の屋根や壁面、庭を覆いつくすほどの花が咲くのです。
そして今年は、例年よりも多くの花が咲き乱れていました。
淑子は独身。
戦時中に結婚を約束していた男性・総二郎がいましたが、急に音信不通になってしまい、淑子は以来、頑なに愛することも愛されることもせずに1人で生きてきました。
鬼太郎は花を一目見るなり、花の正体は、妖気や霊力を受けて咲く花「妖花」だけど、邪悪な気配は感じないと言いました。
そして、咲き乱れる妖花の大元を求めて、南の島に鬼太郎たちはハマグリ船で旅します。
たぶん原作者・水木しげるさんが戦ったパプアニューギニアが舞台。
島には戦争の名残として、朽ちた戦車や遺骨が描かれていました。
また、日本語で書かれた慰霊碑も出て来て、まなを驚かせました。
- 鬼太郎
- 当時の日本は大きくなろうとしていて、現在は友好的な関係の国々と戦ったんだ
- まな
- 日本はアメリカに攻められただけだと思っていた
- 目玉おやじ
- 日本もほかの国に攻めたり戦っていたりしたんじゃ

おおっ、子ども向けのアニメなのに、「被害」の側の視点だけでなく、「加害」の側の視点で語るとは!
学校の平和教育も「被害」の側(日本がどんなにひどい目に遭ったか)で終わってしまうことが多いのです。
「加害」の側(日本がどんなにひどいことをしたか)も学ばなければ、戦争の実態をつかむことができないのに。
さて、私が子どもの頃に見たゲゲゲの鬼太郎でも似たような話があったような気がして、インターネットで調べてみました。

あぁやっぱり!
過去5回、「妖花」の話はアニメ化されていました。
1968年版「妖花」
ちなみに、1968年に書かれた原作「妖花」はわずか15ページほどの短編らしいです。
両親のいない孤独な女性・花田花子の安アパートに、今年もまた不思議な花が咲き乱れる。

どうやらこの花は、南方に咲く花らしい。
その謎を知るために、花子は妖怪ポストを使って鬼太郎に手紙を出す。
花子の依頼を受けた鬼太郎は、花子をともなって花のルーツを探して南の島々へとハマグリ船で出発する。

妖気を手がかりにある島に上陸すると、そこには太平洋戦争の跡が残っていた。

やがて妖花の種を撒き散らしている大木が見つかる。
その根本を掘り返すと白骨が見つかる。
指には「花田」と書かれた指輪がある。
それは23年前に死んだ花子の父だった。
その父の思いが、花の種を花子のもとに送ってきたのだ。

鬼太郎たちは、その白骨を手厚く葬る。
水木さんは、『総員玉砕せよ!』という漫画のあとがきで、

ぼくは、戦記物をかくとわけのわからない怒りが込み上げてきて仕方がない。
多分、戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。
と書きました。
12月8日は、今から77年前、日本が自ら太平洋戦争に突入した日でした。
水木さんを突き動かした「戦死者の霊」…
- 第二次世界大戦(太平洋戦争含む)でのアメリカの戦死者は29万人
- 日本の戦死者は310万人
- そして日本が攻めていた中国の戦死者は1321万人

この事実を知って、あなたはどう感じますか?
おわりに

もうおわかりですか?
もへちゃんが、霊を通信のネタにしたのは、反戦平和の話をわかりやすくて、イメージしやすくするためでした。
その1つの例が、今回紹介したゲゲゲの鬼太郎ネタの通信です。
平和劇のシナリオに霊を登場させるのも、同様の理由です。
通信や劇で、反戦平和のメッセージを送るのはとても大事なことですが、
- 読む気にならない通信
- 見ていておもしろくない退屈な劇
と読み手・観客に感じさせたら、届けたいメッセージは届きません。
細かい字でビッシリの通信を読んでくれるのは、クラスの数人だけです。
残りの30数人は、配られた瞬間にカバンの中に入れたり、机の中に入れたり…。
戦争中の説明ばかり、延々と演じる劇を見てくれるのは、全校生徒のうち数人だけです。
いや1人も、身を乗り出して見てはくれないでしょう。
だからもへちゃんは、霊をもネタにするわけです。
しかも、夏休みに見たゲゲゲの鬼太郎の話を、節目の日の1つである「太平洋戦争に突入した12月8日」までとっておくんです。
芸が細かいでしょ(^o^)
霊を信じられたらよかったのに…と思う瞬間
そんなもへちゃんですから、娘を亡くした後

天国で見守ってくれてます
なんて思えたらよかったのですが…。
そう思いたくても思えません。

将来、生まれ変わって、また縁を結べます
なんて思えたら、どんなに楽だろう…なんて思う瞬間があります。
忌引きの間、そして病休の間、「マンガ 般若心経入門」を10回以上読み返しました。
「なるほど~、深いね~」とは思いましたが、「その通りだ」なんて思えませんでした(>_<)
「マンガで読む名作 聖書」にいたっては、1回読んで「もういいや~」と思っちゃいました(^^;)
身近な人を亡くした際のきわめて大きな悲しみを癒やすために、「宗教」というわかりやすくてイメージしやすいものを、人類は創り上げたのかもしれません。
もへちゃんがやってること(霊は信じてないのに通信やシナリオに登場させる)と少し似てるかも…
スケールのでかさは全然違いますが…
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