2022/01/13
はじめに
前回のブログで「部活動対抗駅伝大会」のことを書いた1992年発行の通信を紹介しました。
それから3年後の1995年の部活動対抗駅伝大会で、当時、生徒会役員をしていたSTさんのことを書いた通信を探したのですが…
見つけることができませんでした(>_<)
おかしいなぁ?
通信に書いたと思うんだけどなぁ(>_<)
そこで今回は、探している課程で見つけた「ひざ痛」のことを書いた通信「学級記録 No.59」(2007年1月10紹介します紹介します。
ヒザ痛
昨日の昼頃から、ヒザが痛い。
階段を降りるときが、特に痛い。
誰だ!?
「もう年やねぇ」と思ったのは(`A´)
2年ほど前、熊本にある日本一の石段(3333段)に挑戦した時の「下り」で痛くなったのと同じ感覚だ。
何をしたわけでも、長距離を歩いたわけでもないのになぁ。
正月、ゴロゴロしすぎたせいかも(^^;)
風呂に入って、一晩寝れば治ると思っていたのに、まだ痛い。
学校の中の段差
そう思っているから、階段が煩わしい。
いつもなら、職員室から教室に来る時は、
- 職員室のドアを開けて
- 3年生の教室方面に向かい
- 階段を降りる
ようにしている。
でも今日は、ドアを出てすぐの所にある4~5段の登りの階段が気になって
少しでも「階段」を減らそう(^^;)
と、グランド側の道を来ることにした。
けれど…
ピロティから下足箱のあるフロアに行くには、やはり階段が待ち受けてた!
わ、わすれてたぁぁぁ
ふだん、心に留めないから気がつかなかったのだが、校舎って、段差がやたら多い。
MRさんやHGさんが、2学期に足を痛めていたし、配慮したつもりでいたのに、自分自身が痛みを感じるようになってでしか、段差の多さに気づかないとは…
失って、初めて気づく
人は、健康な時はそのありがたさに気づかず、健康を損なったときに気づく。
普通に呼吸できる時には、空気のことを考えること無く、空気が汚れ苦しくなった時に空気の存在に気づく。
失って、初めてその大切さがわかる。
けれども、それでは「誰もが苦しまなければ気づかない」ってことになる。
その苦しみが乗り越えられるものであるならば、僕は「あってもいいかな」と思うが…。
もし、乗り越えられないものであるならば、当然避けるべきだ。
戦争や異常気象なんかがそうだ。
人の痛みや苦しみを和らげる
話を元に戻そう。
ヒザの痛い僕にとって、スロープはとてもありがたい。
エレベーターを使うほどではないが…エレベーターも良さそうだ。
KM中にスロープやエレベーターが付いた経緯を知らないけれど、いろんな人が携わったに違いない。
- そのための予算を獲得した役所の人
- 設計をした人
- エレベーター会社の人
- 工事を請け負った人
- …
将来、仕事に就くのなら、そんな「人の痛みや苦しみを和らげることができる仕事」って、いいと思わないか?!
おわりに
もへちゃんは若い頃、事故でヒザの靱帯を伸ばしたせいか、40歳を過ぎるあたりから長距離を歩くとヒザが痛くなるようになりました。
通信内にある「日本一の石段」には2度チャレンジしました。
40歳前の1度目のチャレンジでは何ともなかったのに、2度目(42歳)は下りでどんどんヒザが痛くなりました。
最初は右膝だけだったのですが、右膝をかばいながら下るうちに左膝も痛くなりました(T_T)
3度目は、もう無いなぁ(T_T)
ちなみに「日本一の石段」とは、熊本県にある釈迦院御坂遊歩道のことです。
ヒザに対する弱みを持っているもへちゃんだったからこそ、今回の通信は書けたわけです(笑)
失って、初めてその大切さがわかる
今回、ブログで紹介するため通信の文章を入力してると
失って、初めてその大切さがわかる
ってところで、手が止まりました。
よく聞くフレーズです。
2007年のもへちゃんも、わかっているつもりでこの言葉を選んだのだろうと思います。
・
・
・
5年前に娘を亡くした今のもへちゃんは、この言葉の意味が痛いほど心に突き刺さります。
さらに、通信内の
その苦しみが乗り越えられるものであるならば、僕は「あってもいいかな」と思うが…。
という文章も心に突き刺さりました。
近しい者の死というのは、乗り越えられんもんなぁ(乗り越えられないもんなぁ)。
乗り越えるのではなく、抱き続けるのみです(>_<)
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