2020/07/21
はじめに
新型コロナウイルス感染症の影響で、今年の文化祭(合唱コンクール)は中止になりました(>_<)
残念ですが、以前の文化祭は、合唱コンクールだけではなく、クラス演劇や教室展示もあってました。
そこで、前回、前々回と、教室展示(巨大迷路作り)にとりくんだ1988年のクラスのとりくみをふりかえっています。
今回の記事も文化祭3日前に発行した通信です。
ただし今回は、巨大迷路のことがメインではありません。
巨大迷路作りにとりくんできたことで、ふと気づいた普段の「清掃」のことを書いた通信です。
では、学級通信「スバル No.77」(1988年10月26日発行)を紹介します。
もうちょっと幸せになりたいから、僕はそうじを成功させつづけたいのです
迷路作りもあと2日。
今、僕は、壁がきちんと立つか、すごく不安だ。
昨日の出張でも気になって、気になって…
一昨日は5時半までかかって(これは違反です。気をつけねば…)、壁作りをした。
仕事は4時40分にやめたんだけど、片付けるのに手間取ったからな~。
みんなで段ボールをなんとかしてまとめて、ゴミを集め、机を教室に戻した。
▢▢さんが最後に出た後、僕はみんなが気づかずに帰ったところの廊下のゴミを集め始めて、そして考えた。
そうじをすることって権利なんじゃないだろうかと。
そうじをすると気持ちいい
僕の職員室の机を知ってる人は、僕のことを「きれい好き」とは思わんだろう(^^;)
でも僕は、やるときは徹底的にきれいにしたくなるのです。
そんな気持ちを僕が持てるのは「そうじをすると気持ちいい」ってことを知ってるからだ。
きれいな所で生活したいと思うことは、僕たちの当然の考えであり、それを実行(そうじのこと)できることは権利の1つなのだ。
とは言っても、うちの組でも、そうじみたいなやっかいな仕事は誰かに任せて、自分だけは要領よくサボろうとする人もいる。
だから、ちゃんとしている人も
損した~
という気分になったりする。
いつの頃から
そうじなんていやなことだ
つらいことだ~
と思い始めたんだろうか。
いつから
働くっていやなこと
辛いこと
になったんだろうか。
働くことって、もともとは楽しいこと
家の人は働きに行ってるやろ?
君らを養うためもあるな。
家の人も、仕事が大変なときは
辛いなぁ
と思うだろう。
でも、
この仕事とひきかえに一家を養ってるんだ。
この仕事のおかげで、子どもたちの笑顔も、一家の楽しみも得られるんだ。
と思って働いている。
そう思うことで頑張れるんだ。
もし
もし家の人が失業したら…
まずお金について困る。
うまく暮らせず、家族1人ひとりの不安が、家を支えている人の心を焦らせる。
そして、そんな状態が続くと、暮らしの不安だけでなく「働きたいっ!」と人間は心や身体がムズムズしてくるのだ。
なぜなら、人間はもともと
「今よりは、もうちょっと幸せになりたい」
と思って、昔から自然や周りに働きかけてきたんだから。
どこをどうしたら幸せになれるかと考え、そのことに必要な知識や考え、技術を磨いてきたんだ。
だから、楽しく働くためには、そういう知識や考えを、しっかり身に付けねばならんのだ!!
楽しく掃除をするためにも、そういう知識や考えがいるんだ!
おわりに
もへちゃんは、清掃について「時間いっぱい、しっかり頑張れ」という指導は嫌いです。
一生懸命やって、定められた清掃時間より早く終わったら、くつろいでいいとさえ思っています。
逆に、綺麗になってないのに「清掃時間が終わったから」と作業を中断したり、いい加減にごまかすのは、ダメだと思っています。
ちなみに、「一生懸命やって早く終わる」ようになるのであれば、目標を一段階アップします。
教室の担当であれば、「全員の机の上を拭くのをプラスしよう」とか、トイレ担当であれば、「石鹸を粉にして、タイル磨きをしよう」とか…
より綺麗にしようってわけです。
そのためなら、学校の備品以外の清掃グッズも買ってきます(100円ショップですが 笑)。
精神論も大事ですが、どうしたらより綺麗になるかを考え、必要であるならば清掃グッズも使って、楽しく、より綺麗にしてもらいたいのです。
その経験が、将来の自分の仕事に対するプラスイメージになることを願って…。
清掃と掃除
今のもへちゃんは「清掃」という言葉を使うようこだわっています。
1988年当時は、こだわってませんでした。
まだまだやなぁ(笑)
今は、子どもたちに
- 「掃除」は「掃き除く」という漢字で、ゴミや汚れがある場所のみをきれいにする作業のこと
- 「清掃」は、ゴミや汚れをなくすのはもちろんだけど、さらに見えないところまできれいにすること
と話しています。
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