2021/04/12
はじめに

前回のブログで、もへちゃんは「身体検査」という言葉ではなく、「発育測定」という言葉を使うようにこだわっていることを書きました。
今回紹介する通信は、ずばり「発育測定」と題した通信です。
しかし「発育測定」ネタでありながら、集団の質を問う通信です。
と言っても、発育測定がある時期は、年度当初の4月ですので、「学級集団」なんてものは、まだ芽生えてません。
なのに、なぜ「集団の質」を問うような通信を書いたのか?
それは、これから目指してほしい学級集団を、なんとなく感じてもらいたかったからです。
では、「学級記録 No.2」(2005年4月12日発行)を紹介します。
発育測定
Aさんの思い
僕の友だちのAさんは、とても気合いが入っている。
大声で笑うし、体格もいい。
髪も短く、自分のことを「自分は~」と言う。
初めて会ったときは、

男性かな?
と思ったほどだ。
数年前、Aさんが就職試験を受けると聞いたので、仲間数人で集まって、試験対策の勉強会をはじめた。
週1回の勉強会は、試験までの3ヶ月間、休むことなく行われた。
ある勉強会の日
その日は、面接の練習をしていた。
面接官役の1人が次々と質問した。

あなたは、なぜこの会社を選んだのですか?

学生自体、何か部活動してきましたか?

そこで学んだことがあれば教えてください
Aさんは、ハキハキと元気よく答え続けた。

アメリカでは、太っている人は自己管理できない人と言われるのだそうです。
Aさん、あなたも太ってらっしゃるが、自己管理することは苦手なのですか?
そう質問されると、今までハキハキと答えていたAさんが黙り込んだ。
みるみる表情が曇った。
応えようとするが、涙に声が詰まって言葉にならない。

好きで…、
好きで太ったんじゃないんです。

小さい頃病気になって…、
薬で…、
副作用で…
それ以上、話せなくなった。
友だちづきあいをして、何年もたっていたけど、Aさんのこんな思いに気づきもしなかった自分が情けなかった。
今日は発育測定
今日は視力検査、聴力検査、発育測定がある。

1人ひとりの身体の状況を知ることができる。
それは「友を知る」第1歩である。
けれども「どんな思いで日々を過ごしているのか」ということをわかろうとしなければ、それは表面的に「友を知る」ことでしかない。
あの時、Aさんが泣きながら、言葉に詰まりながらじゃないと話せなかったように、自分の心に押し込んだ思いは、なかなか出せるもんじゃない。
「この人たちになら話せる」
そう安心した時にやっと言葉にできるんだ。
そんな仲間をめざそうや。
おわりに

前回のブログの「おわりに」で、「身体検査」ではなく「発育測定」という言葉を使っている理由について書きました。
この言葉にこだわりを持っている養護教諭、
この言葉にこだわりを持っている先生…
そんな人たちが、学校全体の人権意識に影響を与えている学校が「発育測定」という言葉を使っています。
けれど

細かいことをチマチマと…

悪意があって使ってるわけじゃない

人権、人権って言う人ほど、言葉狩りをするよね
なんて反論をする人もいます(>_<)
反論はしないけど、陰口をたたく方も、たまにいらっしゃいます(T_T)
ヒドゥンカリキュラム、隠れたカリキュラム
もへちゃんが子どもの頃、クラスの名簿は男女別でした。
36年間の先生人生では、前半分くらいが男女別名簿でした。
この「男女別名簿」は、毎日毎日、ごく自然に使われる事により、子どもの心の中に
- 男が先、女は後
- 男が主、女は従
- 男が優、女は劣
という意識をすりこむ原因になっているという意見があります。
そのような教育の事を「隠れたカリキュラム」「ヒドゥンカリキュラム」と教育学では言います。
だから現在の学校は、性別によらない名簿です。
学校現場で先生方が言葉にこだわるのは、この「隠れたカリキュラム」を意識したとりくみだともへちゃんは思っています。
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