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原爆瓦で平和学習(中編)

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

 77年前の今日8月15日、昭和天皇の玉音放送によって、日本の降伏が国民に公表されました。

 もへちゃんが先生時代、この時期の学校は夏休みだし、8月15日に平和学習をすることはありませんでした。

 しかし、マスコミ等で反戦平和のドキュメンタリーや映画なんかが放送されたり、特集記事が書かれたりします。

 ということで、この時期だからこそ、前回から「原爆瓦を用いた反戦平和学習」の授業をブログ上で再現しています。

原爆瓦を使った授業前半のあらすじ

 前回のブログでは、授業前半を再現しました。

 「原爆瓦」ということを教えないで

もへちゃん
もへちゃん

 これは一体何だろう?

 観察力、推理力を働かせて考えよう。

ってことを考えさせると

瓦?

という意見が出ました。

 そこで

もへちゃん
もへちゃん

 新品の瓦と違い表面がザラザラしてるのは、瓦の釉薬うわぐすりが溶けてブツブツになったんだけど…

と解説しながら

すすは付くけれど、ザラザラになったりしません

教室でガスバーナーを使って新品の瓦を焼いて見せました。

 しかし、瓦に変化は起きませんでした。

もへちゃん
もへちゃん

 実は、授業前に実験したんだよね~。

 3分あぶり続けても、ザラザラになるどころか、赤くもならんかった。

 キャンプとかで使うガスバーナーなんだけど、最高温度が850℃。

 これじゃ足りないらしい。

 そこでどうするかと言うと…

 授業後半部、はじまりはじまり~

今回のブログのおすすめの視聴法

もへちゃん
もへちゃん

 今回のブログには、短めの動画が5つあります。

 回線速度の関係でうまく再生できないかもしれないので、画像も載せましたが、動画で見るほうが何倍も迫力があります。

 その際は、無音で動画再生するのではなく、ぜひ音声とともに視聴されてくださいm(_ _)m

道徳「これは一体なんだろう」(後半)

もへちゃん
もへちゃん

 瓦の表面は、ガスの火なんかじゃ溶けません。

 「瓦そば」って食べ物、知っとる?

 瓦ごと火にかけて、鉄板代わりにして焼きそばを作れるんよ。

 ならばどうすればいいか?

 次に見せるのは、1990年代の後半、◯◯高校の工業科に手伝ってもらった「瓦を焼く実験」を録画したものです。

焼き物を焼く窯(1000℃)で5分間

 古い瓦と新しい瓦を窯に入れ、5分間焼いてみると

 出してすぐは真っ赤でしたが、1分もせずに普通の色に戻りました。

 しかし、普通の色になったといっても、1000℃近い高温なのです。

 高校の先生が、ほんの少し衝撃を与えると、古い瓦も新しい瓦も粉々になりました。

 横に置いていた、熱してない瓦に同じような衝撃を与えて、割れないことを示しながら

 高温になると物質はもろくなります。

と説明してくれました。

アセチレンガス(3500℃)で瓦を焼く

アセチレンバーナーとは

 焼き物の窯の温度(1000℃)でも、瓦の表面に変化は起きませんでした。

 そこで次は、金属加工の部屋に移動しました。

 高校の先生が用意してくれていたのはアセチレンバーナー。

 アセチレンバーナーは、金属と金属を溶接する際に使うものです。

 その温度は3300℃。

 アルミ缶なら1秒で穴が開きました(>_<)

アセチレンバーナーで瓦を焼く

 早速、瓦を焼いてみましたが、変化は起きませんでした。

 アセチレンバーナーの炎の量では、瓦1枚だと、熱が拡散してしまうのです。

 そこで、瓦を割って小さくして、再度焼き始めた動画がこれ ↓ です。

 10秒ほどで、瓦の釉薬うわぐすりが溶け、ブツブツ状になりました。

 冷えると

 瓦の釉薬うわぐすりが、アセチレンバーナーの熱で溶け、沸騰し、冷えてかたまると、キラキラした粒状になりました。

もへちゃんが持ってきたものの正体

 このキラキラ具合は、もへちゃんが教室に持ってきたものと同じです。

もへちゃんがもってきた古い瓦
もへちゃん
もへちゃん

 瓦がこんなになった理由、わかるかな?

 ヒントは、この瓦をもへちゃんが拾ったのは広島の元安川です。

 原爆…(>_<)

もへちゃん
もへちゃん

 そう!

 今日、みんなに見てもらって、触れてもらったのは「原爆瓦」です。

 この瓦は、1945年8月6日、あの日の広島で、3000~4000℃の熱線に焼かれたものです。

 平和授業とかでその温度を聞いたことあるって人もいるだろうけど…。

 でも、それってイメージしにくいやろ。

 けど、DVDの中で出てきたアセチレンバーナーの炎を身体全体に

  • 指先にも
  • 目玉にも
  • 髪の毛にも

浴びたと考えたら、少しは想像しやすいんじゃないかな?

 子どもだろうが、大人だろうが、熱線は容赦なく貫いたんよ。

 あの日広島に、そして長崎にいた人々のことを、知って、感じて、決意して欲しい。

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

 もへちゃんが、この授業を思い立ったのは、

「原爆瓦―世界史をつくる十代たち」(山口勇子著 平和文化刊)

という本を読んだからです。

 その本には、高校生たちが原爆瓦を拾い集め、その瓦で、原爆の悲惨さを伝える平和のモニュメント「原爆犠牲ヒロシマの碑」が作られたことや、アセチレンバーナーを使っての「原爆瓦再現実験」なんかが書かれてました。

次回予告

 次回の本ブログでは、授業後、子どもたちに配布した通信(原爆犠牲ヒロシマの碑に刻まれた高校生の言葉等を紹介)について書きたいと思いますm(_ _)m

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