2021/03/05
はじめに

公立受検直前シリーズ④で紹介する通信は、前回、紹介した「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.169」(2019年3月1日発行)の次に発行した通信です。
「信じればかなう」を座右の銘にしているもへちゃんですが、

あきらめを信じてしまったら、それもかなう(>_<)
とも思っています。
では、あきらめないために必要なものって何でしょう?
さらに、今回紹介する通信は、入り口は「受検ネタ」ですが、出口は「人生にとって大切なこと」です。

えっ、どんなことかって?
それは、読んでのお楽しみです(^^)
「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.170」(2019年3月4日発行)を紹介します。
努力の上に花が咲く
学年だよりミニ51号(このブログでは未発表m(_ _)m)「努力すれば望む結果を手にできるか」で登場したサッカーの本田選手の、小学校の卒業文集を見つけました。

この文章を読みながら私が驚いたのは、「夢」のほとんどを達成していること。
ワールドカップで日本代表になり活躍、ヨーロッパのセリエAに移籍し、背番号10番(サッカーでのエースナンバー)をつけて活躍もしました。
もう一つの驚きは、「今はヘタだけど」という部分。

本田選手は、才能あふれる天才肌ではなく、努力の人だったってことでしょ。
さらに「世界一になるには、世界一練習しないとダメだ」と書いているってことは、

本田選手のことだから、本当に、世界一練習したんだろうなぁ。
と感じました。
もへちゃんも「努力すれば、望む結果を手にできる」って思ってる
私自身は、スポーツに関して才能を引き出すことはできませんでしたが、本田選手同様

努力すれば、望む結果を手にできる(^^)
と思っています。
なぜならば、私も努力によって、望んだものを手に入れたからです。
私の努力内容は、「学校の先生になれる大学に入るだけの学力を、自分の中から引き出す」ことでした。
高校受験では「1日6時間勉強」、大学受験では「1日…」、もう何度も書いたし、くどいのでやめときましょうね(笑)
力一杯、努力しました。
人生でこれほど、一生懸命学ぶことは、もうないだろうと思うくらいに。
そしてその結果、夢がかなったから、今、あなたたちの前にいるわけです。
「信じればかなう」…でも、あきらめを信じたら、それもかなう(T_T)
さて、前号の学年だよりミニで「信じればかなう」という座右の銘の1つを紹介しましたが、実は信じるだけでは弱いって思っています。
というのは、「あ~もうダメかな」ってあきらめを信じてしまったら、本当にそれもかなっちゃうからです。
だから私は、

「あ~もうダメかな」と思わなくてすむほどの努力がいる
と思っています。
そして、私の経験では、努力は決して裏切りませんでした。
本田選手は、サッカーのNo.1プレーヤーになるために、私が想像できないような努力を積み重ねたのでしょうが、彼も「努力は決して裏切らない」と思っています。
「努力の上に花が咲く」は、私の座右の銘の1つです。
努力の上に花が咲かなかった現実…それは「差別」
ただし、努力の上に花が咲かない現実があったことを、私は知っています。
人権学習「就職差別」で、あなたたちも学びました。
差別です。
努力して努力して合格するだけの力を引き出しても、就職試験で差別され、不合格にされた事件のことを学びました。
怒りを持ったと思います。
就職差別の人権学習では、差別の現実だけでなく、それに対しての闘い方を学びました。
差別された人だけでなく、その周りの高校生たちも就職差別と闘ったことを知りました。
高校生たちがとった闘い方
- 差別質問に対して「その質問については学校で答えなくていいと指導されていますが、それでも答えなければなりませんか」と返す。
- その事実を学校に報告し、学校は労働局に報告する。
- 国や県からその職場に指導が入る。
その結果、今の福岡県では就職差別が激減しています。
けれども、差別選考は「減った」とは言え、「0」ではないのです。
つい数ヶ月前も、大学の医学部の入試で、差別選考があったことが、日本中で大問題になりました。
もしあなたが、高校入試で、合格ラインより上の点数をとり、内申点でも十分に合格ラインに入っているのに、差別されて不合格になったとしたらどう感じますか?
そう、今のあなたなら差別を「我がこと」として考えられるはずです。

そんなの絶対に許せん!
ってまっとうな怒りが湧いてくると思います。
世の中は、やはり「努力の上に花が咲く」べきなのです。
それが差別のない世界です。
「自分もよし 他人もよし」な世界です。
差別のない世界めざして、ともに闘いましょう!
「信じればかなう」のですから。
おわりに

今回、紹介した通信は、入り口は「受検ネタ」でしたが、最後は「人権ネタ」となりました。
子どもたちは、秋頃に「就職差別」についての人権学習を受けていました。
もちろん、その時感じた怒りは本物だと思いますが、受検直前の今、

もし僕が差別されて、テストの出来もよくって、内申点も高いのに、落とされたら…
と考えさせるのは、
- 忘れかけていたことを思い出させる
という消極的なねらいだけでなく、
- 「我がこと」として再認識させる
という積極的な働きかけなのです。
受検直前の今だからこそ、タイムリーなのです(^^)
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