2023/01/04
はじめに
前回は、「僕の進路決定物語①」を紹介しました。
このシリーズは全部で3回ありました。
前回の「僕の進路決定物語①」は、高2までのもへちゃんの進路決定の迷走を紹介しました。
先生の「せ」の字さえも出ませんでした。
数学の先生をしてたもへちゃんですが、数学の「す」の字もでませんでした。
さて、第2弾では「せ」の字くらいは出てくるのでしょうか?
では、学級通信「道のべ No.44」(1990年12月8日発行)を紹介します。
僕の進路決定物語②
(道のべ No.43からの続き)
インテリアデザイナー?
次に考えたのは、インテリアデザイナーだった。
なぜかというと、高2の美術の時間に描いたデザインが、自分でもよく思えたし、
自信満々に先生に見せたところ
いいねぇ~
と言われたからだ。
デザインの才能があるんかな~?
と考え、志望校が気象大学から熊本大学とか九州大学の建築学部なんかに変わってきた。
教師?
そんな時に、先輩たち(バレー部の1つ上の先輩で、とってもとっても尊敬してる…というより憧れている人たち)が卒業していった。
先輩たちの進路を聞いてみると、キャプテン、副キャプテンの人が
教師になるから福岡教育大学に行く!
と言った。
その時まで教師なんてほとんど考えたことがなかった。
それだけに先輩たちの言葉は新鮮だった。
おまけに、その頃テレビで熱中時代や金八先生が流行っていたし、心が揺れ始めた。
その頃の僕は、
- 世界史が大好きで(数学? あっはっはっは~(^^;))
- 次に国語が好きで
- 次に体育が好き
な少年だった。
心の中で「教師」と「インテリアデザイナー」のどちらを選ぼうかと悩みながら、高2が終わった。
高3になる時、どちらの夢をとるにしても困らないようにと理系のクラスを選んだ。
成績的には、熊大、九大、福教大、どれも無理だったけど、高校入試の時の自信があったので、
やればできる!
と考えていた。
しばらくは「どちらにするか?」と天秤にかける日々が続いた。
夢が1つにしぼられた!
決定的になったのは入試科目だった。
熊本大学や九州大学には2次試験に英語がある。
福教大にはない。
この違いは、英語が苦手な僕にとっては大きかった。
(逆に考えると、英語が苦手じゃなかったら、簡単に「インテリアデザイナー」の夢はあきらめんかったろうな~)
何の先生になろうかな?
「教師になろう」と夢が1つにしぼられたけれど、次の問題は「何の先生になろうかな」だった。
それによって受験する「科」が違ってくる。
すなわち、2次試験の科目が違ってくる。
1番なりたいと考えたのは、やはり得意な世界史だった。
しかし…
1番なりたかった「世界史」の先生にならなかった理由
この時、進路についてもっとたくさんの情報を知っていたら、
もっと真剣になっていたら、今頃、僕は高校の世界史の先生だったかもしれない。
なぜそうなっていないのかと言うと、福教大中学教員養成課程社会科の2次試験の入試科目が「地理」と「倫理社会」という2教科で、どちらも得意じゃなかったからだ。
世界史の先生になろうと思ってたら、「福教大にこだわらず、他の大学でもよかった…」と今は知っている。
でもそのころの僕は、全然知らなかった。
知ろうとしなかった。
それまでは、夢をあきらめたのは勉強不足だったからだけど、
世界史の先生をあきらめたのは、進路選択への無知からなのだ。
同じミスを君たちにしてもらいたくない。
つづく
おわりに
通信中に
成績的には、熊大、九大、福教大、どれも無理だったけど、高校入試の時の自信があったので、「やればできる」と考えていた。
とあります。
「やればできる」…これはもへちゃんの座右の銘の1つです。
高校入試の時の体験談が元になっています。
このことについて書いた通信は、まだ報告してなかったので、近日upしますm(_ _)m
人の力を借りてたら…
さて、中学時代、高校時代と、もへちゃんは先生を信用していませんでした。
ひねくれた子どもでした。
だから、
インテリアデザイナーになりたいな~
と思っても、そのためにどんな進路をとればいいのかわからずに、「建築学部」と勝手に思い込んでしまいました。
「世界史の先生になりたい」と思っても、そのためには
- 教育学部に行かなければならない
- 通える国立大は九大と福教大くらいしかない
- だから福教大の中等教員養成課程 社会科を選ぶしかない
と勝手に思い込んでしまいました。
先生になって、同僚の社会科の先生が、
俺は、教育学部じゃないよ。
大学では、発掘ばっかりしよったよ(発掘ばかりしてたよ)。
教職の単位を取って先生になったんばい(なったんだよ)
と言われて、
そんな道筋があったんだ~
と愕然としました。
高校時代、進路指導室に1歩も入ったことなかったもんなぁ。
教師にアドバイスをもらう気、さらさらなかったもんなぁ。
困難を達成するために、人の力を借りることができる能力
そんなもへちゃんが『学び合い』の考え方の授業に出会い、
「困難を達成するために、人の力を借りることができる」能力
の重要さを知りました。
あの頃の自分にその能力があればなぁ…
その能力が人生には重要で、
教師は敵じゃないし、
それどころか教師の知識を使ってでも自らの困難を突破することが大事なんだ!
と知ってたらなぁ…。
だからもへちゃんは『学び合い』の考え方にすごく惹かれたのだと思います。
だからこそ、目の前の子たちに『学び合い』の考え方で授業をしたのです。
あっ、でも、紆余曲折はあったものの、高校の世界史の先生ではなく、結局、中学の数学の先生になってよかったって思ってます(^o^)
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