2020/12/01
はじめに
先生になって6年目
先生になって6年目、中3生の担任をした時、
ライバルを蹴落としてなぜ悪い
と言った子に、なぜ悪いかを納得させられませんでした。
間違ってることはわかっていても、そのわけを論理的に説明できませんでした。
自分の経験、卒業生の姿…それしか語るべき内容がありませんでした。
道徳的な言葉…そんな言葉が入るような子なら「ライバルを蹴落としてなぜ悪い」と開き直るわけがありません。
そして、その子をまわりの子とつなげないまま卒業させてしまいました。(ここまでは前回のブログの内容です)
先生になって24年目
先生になって24年目、『学び合い』の考え方に出会いました。
もやもやしていたものが、すっきりしました。
そこで今回は、『学び合い』の考え方に基づいた授業に出会い、校内研究に位置づけ、研究発表会を行った直後に書いた「研推だより No.20」(2012年12月10日発行)を紹介します。
共感できなかった方
ある学習会で、以前同僚だった同世代の先生に会い
研究発表会、たくさん来とったらしいねぇ。
行きたかったけど行かれんかったっちゃん。
とうれしい評価。
彼の学校の若手の先生が参加し、感想を聞いたのだそうです。
うれしくなったついでに西川先生の講演をかいつまんで話していると
そういうことね。
「西川先生が泣くのがわからんかった」と若手の先生が言いよったけど、やっと理解できたよ
とのこと。
彼のこの言葉は衝撃でした。
僕には一番印象に残った場面であり、荒らした子のことを思い出しながら、涙された話だったからです。
西川先生のブログに、あの日の話と同じ内容のことがありましたので紹介します。
大事なこと・私の失敗
若い人、それも本当に教師になろうとする若い人を見ると頼もしく思います。
しかし、同時に私と同じ失敗をするだろうな…と思います。
今の教師の理想像は、子どもの親であり、子どもの兄・姉として接する姿です。
しかし、それは無理ですし、それによって子どもを見捨ててしまいます。
何故なら、親や兄・姉として接することが出来る子どもの数は数人です。
つまり、大多数の子どもはそのように接することは出来ないのです。
私が教師だったとき、独身であることもあって全ての時間を教育に向けることが出来ます。
自分を青春ドラマの教師に投影していました。
そして、そう思えました。
が、結果として多くの子どもを奈落の底に突き落としたことを知っています。
おそらく、そう思った人はいないでしょう。
おそらく突き落とした子どもさえも、良き教師像に侵されているからです。
そして、『学び合い』を知るまでの私もです。
しかし、今の私はそれを知っています。
『学び合い』を知れば、それまで自分がしていたことが恐ろしくなります。
どれほどの子どもに被害を与えてたかと…。
そして、私の教え子の場合は、皮一枚で学校とつながっているような子どもです。
そして、学校とのつながりを切れば、あとは奈落の底です。
私は善意から、その一枚を切っていたのだと思い、恐ろしくなります。
一般の「良い先生」を目指すとどのようなことが起こるか、そして、そのまま10年、20年たつとどうなるかを詳しく講演で語ることがあります。
でも、語れば語るほど、自分の教え子のことが走馬燈のように思い出され、空恐ろしく、また、悲しくなり、聴衆の前で不覚にも辛くて号泣してしまうことがあります。
私の教え子に対して贖罪のしようがありません。
せめて、東京都八王子市近郊の学校に『学び合い』を広げれば、教え子の子どもに対して贖罪が出来ます。
でも、それもかないません。
私の場合は、私の教え子は既に40才以上です。
彼ら、特に女の子は早めに妊娠するので、教え子の子どもたちの中には既に学校教育を終えて人もいるでしょう。
そのような場合、私が出来るのは、彼らの孫に対しての贖罪のみです。
でも、同志の皆さんは、その子たちの子どもに対して贖罪が出来ます。
いや、急げば、教え子に対して贖罪が出来ます。
うらやましいと思います。
私が『学び合い』にたどり着いたのは、高校教師を辞めてから10年以上もたってからで、それを広げるには何が必要なのかを分かり始めたのは最近(つまり20年以上も後)です。
西川純先生のブログより引用…ただし、西川純先生のブログは、今はなくなっています。代わりにFacebookやTwitterで発信し続けられています。
共感できなかったのは「世代の違い」?
いえ、そうは思いません。
若くても素晴らしい方を知っています。
「経験の違い」はあり得るかも。
けれど、経験がなくとも人には想像力が与えられてるはず…。
とにかく衝撃でした。
おわりに
西川純さんとは
文中に出てくる「西川先生」とは、上越教育大学 教職大学院教授の西川 純さんです。
二重カギ括弧の学び合い(以下『学び合い』と表記)の提唱者です。
東京の定時制高校で先生をされていた時、子どもとつながるための様々なとりくみをされていたそうです。
- 落語を学び、子どもを引き込むような授業
- 子どもと時間を共有し、時にはおごる(笑)
- 親身に相談に乗る
- …
数年間、定時制高校の先生をした後、研究の道へ
その後数年ぶりに、担任していた子たちの卒業式に出席された時、西川クラスだった子どもたちの多くが退学していたことに愕然としたそうです。
一方、隣のクラスだった先輩先生のクラスの子たちのほとんどは残っていた…
これが、西川先生の「奈落に突き落とした」ってことです。
たかが「退学」ではありません。
生活が厳しかったり、荒んだ環境の中で生きていたり…そんな子たちが「皮一枚で学校とつながっていた」
そんな子たちの「学校とのつながり」を西川クラスの多くの子は絶たれた…だから「奈落の底に突き落とした」と表現されたのです。
もへちゃんの勤務してた学校の研究発表会での全体講演で、教え子に対する思いを語られたとき、西川先生は泣かれていました。
- 「子ども↔先生」のつながりに自信があった西川クラス
- 一方、先輩先生のクラスは「子ども↔子ども」のつながりが強かった
『学び合い』の研究のスタートがここにあるそうです。
『学び合い』を校内研究のテーマにしてよかった(^^)
すでに閉ざされてしまったブログには
語れば語るほど、自分の教え子のことが走馬燈のように思い出され、空恐ろしく、また、悲しくなり、聴衆の前で不覚にも辛くて号泣してしまうことがあります。
と書かれていましたが、もしかしたらもへちゃんの勤務していた学校での講演のことを書かれたのかなぁと思っています。
もへちゃんが研究主任をしていた時に
研究テーマを『学び合い』にしてよかった
と感じたのは、この西川先生の涙でした。
- それ以前に出会った校内研究
- 『学び合い』以後に出会った校内研究
それらのどれよりも「自分の教え子たちを本当に救いたい」という気持ちが強くて、
それらのどれよりも提唱者が魂を込めている。
だから、『学び合い』の考え方に基づいた授業が、今後さらに拡がってほしいと思っています。
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