2021/02/05
はじめに
「受験だって団体戦だ」という言葉は、昨年(2020年)までは、inゼリーのコマーシャルで使われていたので、多くの人が知っているメジャーな言葉でしょう。
そのコマーシャルについては、すでにブログで紹介済みです ↓
さて、もへちゃんがこの言葉を初めて知ったのは2010年度です。
えっ?
なぜそんなに細かい年数まで憶えてるのかって?
それは、こんな通信を見つけたからです。
「3年7組学級記録 No.95」(2011年2月18日発行)を紹介します。
受験は…②
僕が◯◯◯中に来て、初めて聞いた「受験は団体戦」という言葉は、高校とかで使っているところがあるらしい。
インターネット検索で、こんな記録を見つけた。
「放課後は、毎日のように友だちと一緒に勉強しました。
『看護師』という同じ目標を持っていたので、お互い励まし合いながらできました。
(中略)
最後までやりきれたのは、友だち・両親などからの励ましがあったからだと思います。」
ここに書かれていることを読んで思うことは、受験は他人との競争ではなく、先生方や友だち、そして家族などみんなとお互い励まし合いながら、切磋琢磨することが必要であり、それがうまくいくことによって「合格」が得られるのではないかということです。
よく言われることですが「受験は団体戦」なのです。
浜北西高生が、一致団結して受験に立ち向かうことが大事なのです。
切・磋・琢・磨
ちなみに「切磋琢磨」という言葉の
- 「切」とは、骨を加工する時の作業を表し、
- 「磋」とは、象牙を加工する時の作業を表し、
- 「琢」とは、玉を加工する時の作業を表し。
- 「磨」とは、石を加工する時の作業を表す。
骨も象牙も玉も石も、古代中国で装飾品として貴重な品だったから、
これらの作業には、手間と緻密さが要求された。
転じて
「同じことを志す者どうしが、互いに励まし合って向上しようとすること」
という意味となった。
「受験は団体戦だ」に、酔ってない?
ただ「受験は団体戦だ」という言葉だけが1人歩きしちゃならんと、僕は思っている。
みんなでやるぞー
俺たちはいけるぞ!
負けるわけがない!
がんばろー
というふうに、団体のムードが盛り上がるのは悪くない。
しかし、それが実態をともなっていなかったとしたら…。
全員が本気で、志望校突破に向けて、ぎりぎりまでやれているんならいい。
- 「負ける恐怖」をごまかしたい
- 自分はぎりぎりまでやってないけど、そのことを忘れたい…
そんな時にも、勢いのいい言葉で、みんなとの一体感を得ようとしてないだろうか?
部活動等で経験した人ならわかるはず
野球やバスケ、バレー、ソフト、サッカー、ラグビー、吹奏楽…を経験した人は実感できると思うが、
「個人としての力量を確立できた者」
が団結した時こそ
最高のパフォーマンスを発揮できる。
受験は団体戦だけど、
1人ひとりが個人になったとき、
すなわち、家庭学習の時に「戦い抜ける力」が必要なんだ。
- 1人、素振りをした日々
- 1人、ランニングをした日々
- 1人、フリースローをしつづけた日々…
本当に勝つ力とは、地味で、丁寧で、地道で、謙虚なとりくみの中で作られる。
1人ひとりが、石を磨くようなとりくみを求められている。
おわりに
受験勉強真っ只中の中3生に
22時になったら、
あいつ、今頃がんばってるやろうなぁ
と、班の友だちのことを考えよう。
そして
よ~し、自分ももうひとがんばりするぞ
って心を奮い立たせよう。
なんてとりくみをすすめたことがあります。
LINE等を使うのではなく、「思う」ところがポイントです(^^)
『学び合い』の考え方で授業を進めると、学校の授業中は、ともにがんばりあえます。
まさに「受験は団体戦だ」です。
でも、1人でやる家庭学習の時にも、「友を思うことでがんばれる」ってこともあると思ったわけです。
個の力を高めるために、仲間のがんばりを思う
もへちゃんは、これも「受験は団体戦だ」と思います。
「1人の100歩より、100人の1歩」か?
今回、紹介した通信に影響を与えた言葉で
「1人の100歩より、100人の1歩」というのがあります。
「1人が100歩進む(進歩する)より、100人が1歩進む(進歩する)ほうが、より大きな力になる」という意味です。
もちろんその通りだと思います。
でも、ひねくれている、もへちゃんは
「1人の100歩」も大事だ!
と思っているのです(^^)
だから、今回紹介したみたいな通信を書きたくなるわけです(^o^)
平和教育や人権教育など、変革を求めるとき、100人が1歩を踏み出せるために、「100歩先を進んでみなを力強く引っ張る存在」が必要だったという経験から得た結論です。
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