2021/08/27
はじめに
今日、仕事がお休みだったので、昼すぎに買い物に出かけました。
最近、家の温水洗浄便座の調子が悪かったからです。
途中、以前、うちの子たちが通った小学校の横を通ったら、日陰で数人の子どもたちが座って何かをしてました。
昼休みかな?
それとも新型コロナのため、給食なしで放課後かな?
どちらにしても、いよいよ2学期(または前期後半)がスタートたんだなぁと実感しました。
そこで今回は、夏休み明けの教室で感じたことを書いた学級通信「道のべ No.40」(1989年9月5日発行)を紹介します。
夏休み明けの教室
70歩目
今日は、夏休みが終わっていやだったところでの日曜日だったので、よかった。
みんなの本音であり、僕の本音でもある。
長~い休みが、身体のリズムを “ のんびり ” にしてしまってる。
こんなのを「夏休みボケ」と言うのでしょう。
71歩目
今日の朝、とっても寒かった。
もう秋だな~と思った。
時間は刻一刻と過ぎている。
それは、僕や君たちが「ボーッ」としていればしている程、早く流れるように思えます。
このまま
ただなんとなく修学旅行になってしまった…
なんてなりたくはない!
こういう気だるい時を乗り切るには、
- 意識して
- いろんなことを考え
- 行動に移す
ことなんだ。
時の流れにただ流されるのでなく、逆に逆らうつもりで1日1日を踏みしめようや。
すっごいやつら
すっごいやつらが2の3にいる!
昨日、生活ノートに赤ペンを入れていた時、気がついた。
なんと、夏休みの42日間、びっしり生活記録が書き込まれているのだ。
生活ノートは、夏の課題でもなんでもない。
しなくちゃならんものじゃない。
夏休みの1日1日、自分を相手に闘い、書き続けたのだろう。
たかが3~4行の文くらいすぐ書ける。
けれど、それを続けるとなると、なかなかできる人は少ない。
誰かに「せないかん(しなくちゃいけない)」と言われてしたんじゃないから、僕は
こいつら、すっげぇな(^^)
と思うんだ。
自分に勝ち続けたから
こいつら、将来楽しみだな(^o^)
勇気をありがとう。
僕は、この3人に教えられた気がする。
いや、怒られた気がする。
僕自身、日記を最近書いてなかったので、余計そう思えた。
自分に勝ち続けた3人へ
1987の夏を誰もが忘れたとしても、君たちだけは忘れることはないだろう。
このページを開くことで、いつでも「若者の持つ新鮮な気持ち」に帰れるだろう。
今の感受性を大切にできるなんて、すっごい宝なのです。
大人になって、今の気持ちを持ち続けられるなんて、とっても素晴らしいと思いませんか。
僕は、そう思いながら、いつしか大人になったのです。
おわりに
1987の夏を誰もが忘れたとしても、君たちだけは忘れることはないだろう。
通信内の
1987の夏を誰もが忘れたとしても、君たちだけは忘れることはないだろう。
と言うのは、大人になったとき、何かの拍子で製本された学級通信のこのページを見たとき、
あ~っ、そうそう。
この時、もへちゃん先生から「すっげぇな」って言われたっけ。
中2の夏休みって…
と思い出してくれるだろうと考えたからです。
このページを開くことで
このページを開くことで、いつでも「若者の持つ新鮮な気持ち」に帰れるだろう。
と書いたのは、学級通信を製本する気、満々だったからです。
もへちゃんが先生時代、製本したのは5冊。
通信を100号以上発行した年だけ、製本してきました。
あっ、でも、先生3年目までは、「学級通信を製本する」というアイデアが無かったのでしてません(>_<)
ごめんよ~
初代もへちゃん組のみんなぁm(_ _)m
ちなみに、この年も100号発行したので製本しました。
日記
ちなみに、現在のもへちゃんはスマホの日記アプリを使って、日記を書いています。
書き始めたのは、4年前。
娘を亡くして3日後の9月4日に「10年日記」というアプリをダウンロードしました。
9月4日にダウンロードしましたが、3日さかのぼって9月1日から書いています。
9月1日の書き出しは
◯◯が死んだ。
この悲しみがいつかは薄れていくのかな?
そうであってほしいけど、そうであってほしくない。
だから今日から(正確には日記をダウンロードして書き始めたのは9/4だけど)日記を書くことにした。
でした。
この日記はほぼ毎日書く予定なのですが、体調不良の時は筆が止まってしまいました。
先生を辞める前、病休を1年半取ったのですが、病休をとる1ヶ月ほど前から日記を書けなくなりました。
また、毎年9月1日が近くなると、筆が止まりがちです。
けれど、今回、この通信を紹介したことで、怒られた気になりました(^^)
コツコツ書くぞ~
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