2021/01/12
はじめに

コロナ禍の成人式
昨日は、成人の日でした。
しかし、新型コロナウイルス感染症の影響で、早々と中止した自治体もあるようです。
沖縄では、成人式出席予定者が新型コロナウイルスの濃厚接触者になったため、式典2時間前に中止を決断したとニュースで報道していました。
2週間後、感染爆発が起こった後で後悔しないための苦渋の決断だったんだろうなぁと思います。
もへちゃんの住む地域では、検温をしたり、消毒を徹底したり、2部制にして参加人数を減らしたりして、式典にとりくんだようです。

でもなぁ…
考え得る新型コロナ対策を全て行ったとしても、やはり2週間後、新成人がたくさん感染しないかが心配です。
成人式ネタはあったっけ?
さて、本棚の学級通信のファイルをパラパラとめくって、「成人の日」をテーマにした通信を探してみました。

あるある!
では「1年1組学級通信 No.30」(2009年1月14日発行)を紹介します。
成人の日
記録56
おそくなったけど、テスト、みんなわかったぁ??
もち、私はNO
このままじゃ高校行けんわ~
どーしましょ↓↓↓
生活ノートより引用
1月12日は成人の日だった。
僕の娘も二十歳なので着飾って成人式の会場に出かけていった。
テレビのニュースでも、各地の成人式の様子が報道されていた。
そんな新成人の人たちを見ながら、大人と子どもの違いって何だろうって考えてみた。
大人と子どもの違い
- 身体がでかい↔小さい
- お年玉をやる↔もらう

とか、いろいろあるだろう。
そんな1つに
- 社会の厳しさの中に生きている↔守られて生きている
ってのもある。
「社会の厳しさ」と言われてもピンと来る人は少ないかもしれない。
例えば、高校入試というのは、君たちが経験する初めての「人生の厳しさ」と言える。
不合格になれば(点数が低かったならば…、面接できちんと答えられなければ…)、その次の年度、4月から行く学校が無くなるのだから。
今までだったら、テストの点数が低くても、僕や親から怒られるだけで、それ以外、特に変化はない。

次はがんばるけん!
とやり直すことは可能だし、がんばらなくたって、なんとか日々を過ごすことも可能だ。
それは「守られている」からであり、「次のがんばりを期待されている」からだ。
人生初の社会の厳しさ「入試」
入試は違う。
失敗したら、誰も君のことを助けることはできない。
「君の勉強不足」という責任を、自分自身でとらされる。
「社会に出る」ってことは、その繰り返しとも言える。
がんばった分、成果を上げた分は評価される(ほめてもらえる、給料が上がる…)。
しかし、努力不足の分はきっちり責任をとらされる。
それが「社会の厳しさ」だ。
子どもの間は、失敗しても許されるけれど、大人になると、しっかり責任をとらされるんだ。
「このままじゃ高校行けんわ→どうしましょ」…それが本当に起こるのが、社会の厳しさ。
◯◯◯さん(記録56を書いた子)を含め、君がこの問題に対し、
子どものままでいる(「なんとかなるやろ」と思う)のか、
それとも少しずつ大人な対応をする(「マジやばいけん、今日から勉強しよう」と思う)のか。
大人になりたくない!子どものままがいい!

大人になりたくない!
と叫んだところで、おかまいなしに年月は過ぎていく。

子どもがいい
と考え、毎日おもしろおかしく生きたとしても、社会に出る頃にはきっちり責任をとることになる。
一気に大人になる必要はないけれど、今くらいから少しずつ少しずつしっかりしていくべきだ。
二十歳になる7年後、社会の厳しさの中でも自分らしさを貫ける人間として、成人式に出てたらいいな。
おわりに

この通信を書いた年のもへちゃん組の卒業生も、2021年現在だと26~27歳。
記録56を班ノートに書いた子は、一番にお母さんになりました(^^)
このクラスの子だけでなく、歴代もへちゃん組のみんなは、しっかり自分らしさを貫いて、社会の厳しさの中を生きていると信じています(^^)
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