学級年表シリーズ③「学級年表を持って写った写真②」

2021/03/23

はじめに

もへちゃん
もへちゃん

 昨日紹介したのとは違う年度の「学級年表を持って写った写真」ネタの通信を探していると…

 1991年度に、2年生の担任をしていた頃の学級通信のファイルの一番最後に、あることはあったのですが…。

 この通信の原稿には、ふだん「通信の左上にあるはずの題字『2年3組学級記録』」ってのがないのです。

 しかも、その原稿の題には「編集後記」とありました。

 この年の学級通信の最終号は、82号。

 もへちゃんは、通信を100号以上発行した時は製本してきましたが…

もへちゃん
もへちゃん

 この年は、82号だったけど発行したのかな?

 まったく記憶にないし、もへちゃん用の製本されたものも持ってないし…

 このブログを読んでくれている方で、もし1991年度のもへちゃん組(2年3組)だった人がいたら、製本したかどうか、教えて下さいm(_ _)m

編集後記

少しずつ少しずつ

 1年間が、過ぎ去っていった。

 2年生になったばかりのころ、3年生なんて先のことだった。

 3年生になる日なんて、遠い先のことだった。

 そして、僕たちは、走り抜くようなスピードで、この1年間を生きてきた。

 何をしてきたろう?

 何もしていないんじゃないか?

と思う人もいるかもしれない。

 僕自身は、そうは思わない。

 学級記録を読み返してみると、君たちが、少しずつ、少しずつ成長してきたことを感じる。

  • 1学期に比べるとずいぶん大人になった人(精神的に)
  • 勉強に本気になりはじめた人
  • つらい人のそばに寄り添ってくれた人
  • 行事を盛り上げようとした人
  • 自分の仕事をコツコツやり抜いた人

 いろんな良さを発揮させながら、1年が過ぎたと思う。

長い長い写真

 1992.3.21(土)、年表を持って、写真を撮った。

 そして、月曜に、それらをつなげた長い長い写真を教室に掲示した。

1991年度学級記録 編集後記より引用

 君は、気がついたろうか?

 あの写真は、1年間かけて撮ったものだということを。

 ある瞬間の君らの表情を撮るのが目的ではなく、1年間、年表を書き抜いたものだけが写せる特別な写真だったことを。

 君たちは、やり抜いた。

 だから、写真が写せた。

 あの写真は、君たちがやり抜いたあかしなのだ。

最後に

 僕には、166ページの本を一気に書き上げる才能は無い。

 僕にあるのは、せいぜい1枚の学級記録を書く力。

 その程度の力でも、続けることで、いつのまにか166ページになった。

 「継続は力なり」って、よく聞くし、そのとおりだと思う。

 僕は、このことを君たちに伝えたかった。

 でも、口で言うより、君たちに感じ取ってほしかった。

 実物で示したかった。

 この学級記録は、君らと僕とでコツコツとやり抜けたから「本」という形になったのだ。

 あきらめず、やり抜くこと

おわりに

もへちゃん
もへちゃん

 この通信、いや編集後記の原稿の右下には「-166-」というページ数らしきものが書かれています。

1991年度学級記録 編集後記の原稿

 1枚前の「2年3組学級記録 No.82」(1992年3月17日発行)には、左下に「-163-」、右下に「-164-」と書いてました。

 この頃は、B4のファックス原稿用紙を使って、手書きで通信を書いていました。

 製本する際、全ての通信を半分に折って、B5版の本になるように、通信を書いていたから、「-163-」、「-164-」というページの付け方なわけです。

 見ると全ての原稿にページを書き込んでいました。

もへちゃん
もへちゃん

 やはり、製本したのかな~?

安く製本するテクニック

 製本する際は、学校に出入りしたいる印刷屋さんに

もへちゃん
もへちゃん

 50冊分、学級通信を製本したいんですが、予算が1万円しかないんです。

 なんとかなりませんか(T_T)

と泣きついてました。

 学校と取引のある印刷屋さんだったからでしょうが、毎回承諾してくださいました(^o^)

 子どもたちの数より若干多めに製本してきたので、もへちゃん自身が保管してないなんてあり得ないのですが…

製本機「とじ太くん3000」

 ちなみに、もへちゃんにとっての最後の製本のみ、「とじ太くん3000」という製本機を使って製本しました。

 このことは、兄弟ブログ「もへちゃんの工作の時間『大人のできるかな?』」で報告していますので、興味ある方はご覧くださいm(_ _)m

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