2020/11/17
はじめに
前回のブログで、星野富弘さんの「泣こう峠」について書きました。
「泣こう峠」は、中3生の受験勉強真っ只中にこそ読ませたい文章です。
今回は、星野富弘さんの文章を用いて、綴ることの素晴らしさを伝えた学級通信「道のべ No.46」(1989年10月12日発行)を紹介します。
綴る(つづる)
一日は白い紙
消えないインクで文字を書く
あせない絵の具で
色をぬる
太く、細く
時にはふるえながら
一日に一枚
神様がめくる白い紙に
今日という日を綴る
著者の星野さんは1つひとつの作品を仕上げるのに、だいたい10日から15日かかります。
1日にどんなに無理をしても2時間くらいしか、筆をくわえられません。
また、筆につける絵の具や水の量など、星野さんが細かく指示して、奥さんがそれを何度も別の紙に塗り、星野さんに見せながら色を作るという、気の長いやり方で描いています。
そうしてできあがった作品には生命の尊さや優しさが(それこそ割れ物を包み込むような感じ)そっとそっと静かに込められているのです。
なぜ星野さんはこうも優しいのだろうかとよく考えます。
なぜ星野さんはこうも強いのだろうかとよく考えます。
「かわいそう」と誰かが言っていたけれど、僕はそれを通り越して、うらやましささえ感じます。
君もそんな優しさに触れてみませんか?
星野さんの本は他にも「愛、深き淵より(立風書房)」、「風の旅(立風書房)」、「かぎりなくやさしい花々(偕成社)」があります。
綴るって特別なことじゃない
綴ることは、君だって僕だってやっています。
- 日記
- 生活ノート
- 学級年表
- 学級通信…
綴ることは残すこと。
文字にすること。
こんなことを、いとも簡単にやりとげている僕たち。
簡単にやれすぎるから、軽く見がちなのかもしれません。
すごく素晴らしいこと。
それは綴ったものを、見直したときにわかります。
おわりに
表現力
この通信では、「表現力」の大切さを語るのに星野富弘さんの詩画集をとりあげました。
現在、文科省は、学力の重要な要素の1つに「知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等」を挙げています。
文科省が言い出すはるか前から、もへちゃんは子どもたちに「表現力」を求めてきたわけです。
えっへん(^^)
子どもたちに星野富弘さんのことを伝える
さて、この通信を配布した時点で、ほとんどの子どもたちは星野富弘さんのことを知りません。
そんな子たちへ、この通信を出すと子どもたちはどう反応するか…
おおくの子は、通信の中の太字の部分
「1日にどんなに無理をしても2時間くらいしか、筆をくわえられません」
で
?
と思うわけです。
大半の子が疑問を感じたところで、星野さんのことを話しました。
そしてその日以降、学級文庫に「愛、深き淵より」、「風の旅」、「かぎりなくやさしい花々」の3冊が増えます。
私流の「感性に訴える」1つのとりくみです。
もへちゃんと星野さんの作品との出会い
さて、星野富弘さんの作品との出会いは、もへちゃんが先生になった1年目、下宿の隣の部屋に住んでいた友人(隣の中学校に勤務)が、道徳の授業で使うプリントを見せてくれたことでした。
◯◯◯を押してもらって
さくらの木の下まで行く
友人が枝を曲げると
私は
満開の花の中に埋まってしまった
湧き上がってくる感動をおさえることができず
私は口のまわりに咲いていたさくらの花を
むしゃむしゃと食べてしまった
◯◯◯のところはわざと伏せています。
そして次の問いを投げかけます。
なぜこの人は桜を食べたのでしょう
星野富弘さんは、元中学校の保健体育科の先生です。
なぜ桜をむしゃむしゃと食べたかというと…。
その答えは、前回のブログで簡単に書きましたが、「星野富弘詩画集ネット」というところに素敵な動画を見つけました。
5分間で星野富弘さんのことを知ることができます。
どうぞご覧ください。
感性に訴える
「思考力・判断力・表現力」はとても大事ですが、ただただ
これからの時代に必要だから、力を付けなさい
高校受験や大学受験で今後の傾向だから、学びなさい
と指導するだけでなく、感性に訴える必要があると思います。
超多忙な学校現場(全国学力・学習状況調査)
しかし、新型コロナ前の学校現場では、全国学力・学習状況調査で平均点が0.1点上がった・下がったで一喜一憂させられていました。
各県単位、各市町村単位で平均点向上のための学力テストがあってました。
各県、各市町村単位で「過去問にとりくむ時間を作れ」と指導がありました。
これらにとりくむ時間は、当然、授業時間を削ってです。
テストの点を上げるために授業時間を削る…
まさしく「矛盾」です(^_^;)
そして、授業時間の年間スケジュールはギュウギュウになっていきました。
超多忙な学校現場(コミュニティの行事や◯◯教育)
さらに、学力・学習状況調査だけでなく、コミュニティスクールとしての地域行事や、暴力団追放教育、食育、ネットリテラシー教育といった◯◯教育が、雨後の竹の子のように年間行事に入ってきてました。
(※雨後の竹の子…雨が降ったあと、たけのこが次々に出てくるところから、物事が相次いで現れることのたとえ)
どれも大切なのですが、学校行事の年間スケジュールは、いっぱいいっぱいでした。
そして何が起きていたか。
1升瓶の中に2升を入れようとして、入らないから、いろんなことを削りました。
例えば、道徳の授業前に、指導の仕方を学年の先生たちでディスカッションする学年会議も削られた1つです。
形骸化の始まり
もへちゃんが若い頃は、この学年会議で、先輩の先生たちからいろいろ学びました。
もちろんたくさん怒られもしました(笑)
ちなみに、新型コロナ直前は、道徳前の学年会議の代わりに、
道徳の教科書の指導書(先生たち用の教科書、授業の進め方が書かれている)を読んで、そのとおりにしっかり実行してください
という年度当初の一言だけでした。
これじゃ、若い先生は育たないともへちゃんは思ってました。
いや、そんな「若い先生」がすでに中堅の世代になっているのが、今の学校のようにも思います。
子どもの感性に訴えることをおろそかにして、やらなきゃならないからやる。
そしてそのことに先生たち自身が疑問を感じない…。
これじゃあ形骸化にプラスして悪循環です(T_T)
子どもの感性に訴えるような通信
だからでしょうか、学級通信で、子どもの感性に訴えるような素敵な通信を書いている先生が、どんどん少なくなっているように思ってました。
このブログを読まれている保護者の方で、
私の子の担任は、素敵な通信を書いてくれてる
と感じてらっしゃる方は、どうぞその先生を大切にしてあげてください(^^)
そうでない保護者の方、怒らないでください。<(_ _)>
その先生は、書く時間もないし、先輩の先生から教えてもらえてないのだと思います。
なんならこのブログを教えて、よさそうなところをコピペしてもらってもいいんだけどなぁ(笑)
アフターコロナ
新型コロナウイルス感染症を克服した後、学校がどうなるかが気になります。
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