2021/07/12
はじめに

もへちゃんが勤務していた地域の中学校で、8月6日に平和授業をしているのは25校中2校のみです。
その2校は、平和劇実行委員会に立候補してきた子どもたちが平和劇を作り、市の文化会館で、全校生徒や地域の方、次の年に進学してくる小6生等に見せています。
もへちゃんは両校に勤めたことがあり、当時はもちろん平和劇に関わってました。
その後、「8月6日の出校日」が無い学校に異動しました。
もちろん反戦平和のとりくみを創造しようと努力しましたが、「8月6日の出校日」の復活は困難でした(>_<)
そこで今回は8月6日が出校日ではない学校に異動して1年目、7月17日に学校の体育館で平和集会をしたことを書いた学年通信「◯◯◯中学校3学年だよりミニ No.62」(2018年7月19日発行)を紹介します。
平和集会
7月17日(火)に平和集会がありました。
義務教育最後の年の平和教育、いかがでしたか?


高校では平和学習、ないかも…
以前、勤めた学校でも平和劇にとりくんでいました。
3年間、平和集会実行委員会に参加し、平和劇にとりくんだ生徒の1人が、卒業して高校2年生のころ、高校生平和大使に選ばれました。
国連欧州本部(スイスのジュネーブにある)で、核兵器廃絶のスピーチをしてきた彼女は

先生、高校に入ると平和授業なんてないんですよ!
同級生の中には、8月6日が何の日か知らない人までいるんです!!
私が高校生平和大使として国連でスピーチしてきたって、先生方は反応薄いし…!!!
と高校教育に対して怒りまくっていました。
だから、今年の平和集会が、もしかしたらあなたにとって最後の平和教育だったのかもしれません。
そこで、今年の朗読に出てきた佐々木禎子さんのことを少しだけ学年だよりミニでも紹介します。
「千羽鶴」の原点…折り鶴の少女 佐々木禎子さん
禎子さんが、広島で被爆したのは2才の頃でした。
家族で避難しているときに「黒い雨」にもうたれました。
「黒い雨」とは放射線に被曝した塵が混じった雨です。
この雨は強い放射線を帯びているため、雨に直接打たれた人は、髪の毛が抜けたり、歯ぐきからの大量の出血があったり、血便がでたり、大量の吐血をしたり(これらを「急性放射線障害」と言います)しました。
原爆が落ちた後、他の地域から助けに駆けつけた人も、この雨にあたったため、それまで何の異常もなく元気だったにもかかわらず、突然亡くなる人も多かったそうです。
それでもこのとき、奇跡的にかすり傷ひとつおわなかった禎子さんは、とても運動の得意
な元気な少女に成長しました。
しかし、被爆から10年後に突然白血病を発症し入院しました。
入院した病院で、たまたまお見舞いに贈られた折り鶴(このときは「千羽鶴」ではありませんでした)の意味…

鶴は縁起のいい鳥だから、鶴を折ると寿命が延びる
というのを知った禎子さんは

千羽、鶴を折れば、願いが叶う
と信じながら、薬が包まれていた紙やお見舞いの品の包装紙で、鶴を折り始めました。

だから、今の日本の習慣「千羽鶴」は、禎子さんから始まったと言われています。
平和劇「いのちの理由」
私も今から5年前、禎子さんのことを平和劇にしたことがあります。
シナリオは69ページもあり、演じると約100分の大作ですから、全ては書けませんが、一部を紹介します。
禎子さんは願いもむなしく、原爆症で12歳の人生を閉じられてしまいました。
禎子の同級生たちが通っていた幟町中学校では、禎子の死を聞きショックを受けました。
そして、禎子のために何か自分たちにできることはないだろうかと考え始めました。

- (校長先生)
- 今日は禎子さんをしのぶ会に集まっていただき、まことにありがとうございます。
- (菊池)
- 禎ちゃんのために何かやってやれることはないんかのぉ。
- (川野)
- うちは中学に入ってから、お見舞いに行く回数減っとったよ…。
- (青山)
- わしも…。夏休みが終わってからは一回も行っとらんよ。
- (御影)
- お墓はどうなっとるん?禎ちゃんちはまだお墓を建ててないんじゃろ。
- (河本)
- すみません、ちょっとえぇですか。うちは河本と言います。今日は野村先生にしのぶ会があるんじゃって聞いて、ここに来とります。
- (青山)
- 河本のおばちゃんじゃぁ。
- (菊池)
- しっ、おばちゃんゆうたら怒られるけぇ。
- (河本)
- ピカのせいで禎子さんはいのちを奪われたんよ。いいや、禎子さんだけじゃない。ほんまにようけの子どもらの命があのピカに奪われとるんじゃ。その子どもらの霊をなぐさめるには、どうすりゃあええんじゃろうってうちは考えた。ほんで考えついたんじゃ。どうじゃろう、みんなの力でピカで死んだ子どもらの慰霊碑をつくろうや
- (駒場)
- わぁ、そりゃええねぇ
- (川野)
- じゃけど河本のおば、いや、お姉ちゃん、お金がえっとかかるんじゃろ。お金はどうするんじゃ。
- (河本)
- そのことじゃけど、ええ考えがあるんよ。明後日、公会堂で全国の校長先生らが2000人も集まる大会があるけぇ、そん時に禎子さんのことを書いたビラを配って、募金に協力してもらうんじゃ。
- (川野)
- うちらは子どもじゃし、話を聞いてもらえるじゃろうか。
- (御影)
- ほうよ、ほうよ。
- (大倉)
- 慰霊碑っていくらぐらいかかるんかいのぉ
- (河本)
- う~ん、100万円、いや200万円…
- (駒場)
- そがあにかかるんなら無理じゃろ。
- (河本)
- いや!、そがあなこたぁない。うちらの力はわずかじゃけど、0じゃないんじゃ。0.01を1万人分集めりゃ100になるじゃろ。
2013年度平和劇「いのちの理由」より引用
このシナリオの中の登場人物やセリフは創作ですが、全日本中学校長会場で、禎子さんの同級生8人によるビラ配りが行われたのは事実です。
参加していた校長先生たちはそのビラを持って帰り、それぞれの学校の生徒たちに話してくれました。
その結果、全国の中学校からも寄付金が寄せられ、12月に入ると広島市内の小・中・高校へも活動の参加を呼びかけ、『広島平和をきづく児童・生徒の会』が組織されました。
翌年(1956年)には、街中での募金活動が繰り返し行われ、年末までになんと540万円もの寄付金を集めました。
募金活動はどんどん広がり、全国から3000校以上の学校が参加をしたそうです。
原爆の子の像…見て、感じて、行動する

像の真下にある石碑には、
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和をきずくための
と刻まれています。
これからのあなたの人生で、いつか広島に行くことがあったなら、原爆の子の像を「見て、感じて」ほしいです。
そしてその思いを反戦平和のための「行動」にまで高めてほしいです。
私も反戦平和の行動をやり続けます。
ともにがんばりましょう。
おわりに

高校生一万人署名をオマージュ
平和劇「いのちの理由」の台詞の中の
うちらの力はわずかじゃけど、0じゃないんじゃ。
0.01を1万人分集めりゃ100になるじゃろ。
は、もへちゃんの創作です。
実際そんな話があったとは、様々な本を読んでも書いていません。
この台詞は、高校生一万人署名の子たちが大事にしている「微力だけれど無力じゃない」をオマージュして作りました。
禎子さんの物語も
このように、創作物は事実と異なる場合があります。
2013年平和劇「いのちの理由」のシナリオを書いていた際、資料として集めた本やデータによって、禎子さんの言葉や行動が違っていて、どれが正しいかわからなくなりました。
そこで、福岡在住の実のお兄さん(佐々木雅弘さん)に聞くのが一番いいと考え、連絡を取りました。
雅弘さんは

禎子の話が1人歩きしてしまい、父が悲しんでいた。
だから今、本当の禎子のことを知ってもらいたい。
そう言って、取材に応じてくださいました。
平和劇「いのちの理由」
ですので、当時の禎子さんの言動を基に、平和劇「いのちの理由」のシナリオはできています。
もちろん、それだけでなく、フィクションの部分もあります。
雅弘さんからは、

中学生が惹きつけられるようなシナリオでいいと思いますよ。
と言ってもらいました(^o^)
コマーシャル「Kindle本」
未だ平和劇「いのちの理由」のシナリオを電子書籍化しておりませんm(_ _)m

だって60ページもあるんだもん(>_<)
当時は、夢中で創っていたので全く苦になりませんでした。
追々…
そのうち…
できるだけ…(^^;)
代わりと言っては何ですが、以下の3作品のシナリオ(約20分の朗読劇)なら電子書籍化して、Amazon Kindleで1冊250円で販売しています。
なお、もへちゃんも会員の「Amazonプライム会員」の方は、Kindle本を月1冊無料で読めるそうです。
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